現代音楽の嗜好(アンダンテ・フェスティーボ)

N響/ネーメ・ヤルヴィでシベリウスのアンダンテ・フェスティーボ、トゥビンの交響曲第5番、ブラームスの交響曲第4番を聴きに行きます。

特に一曲目のシベリウス、この曲はすごく好きというわけではないけど、よくできた曲だと思う。

形式的には多分ABABA、「ソーーラーシーラーーーソソーー」という1stバイオリンのメロディが何度も演奏されます。細部は変わるけど変奏曲というほど細かく変わるわけではない。

和声の変化も(途中の固定バスとか)よくできてるなーとは思うけど、ぶっちゃけ目新しさはありません。

でも、この曲ってまさにシベリウス的な音が鳴るし、技術的にも簡単。表現の点でも、美しくハーモニーを鳴らせばそれできちんとまとまります。これって、作曲者、演奏者、そして聴衆みんなにとってありがたい曲なんです。

だからアンダンテ・フェスティーボは実は自分が作曲する上で目標とすべき曲なんではないかと思う。私の作曲ははっきり言って余暇の暇つぶしにしかなっていないし、技術的に解決すべきところがまずあるとはいえ。こんなに自然であることが稀有な曲はなかなかない。

 

現代音楽の話。

私が世の中で嫌われている現代音楽というものにある程度シンパシーを感じているということ、しかし「どんな作品でも良い」というわけではないことをどう説明すればいいのか、と悩みました。

ですが、最近気づいたのは、なんか意図が感じられる曲でないとダメだな、ということ。

批判してるのは、具体的に言うとペンデレツキの作品とかですね、後名前の知らない作曲家もいたけど忘れた

無伴奏ヴァイオリンってバッハはあれだけのポリフォニーを作りましたけど、本来だとギリギリ成立するかしないかぐらいのジャンルだと思うんです。

2つ以上(原則)音は鳴らせないし、音域も下はそんなに広くない。

だからこういう、じめっとしたエレジー系の作品が増えるのは分かるんですが…

それってストラヴィンスキーの「エレジー」でほぼ十分なんですよね。

こういうのが「ヴァイオリンらしくない斬新な音響」だから人気があるのは知っているのですが…(それでも、みんな揃って同じような響きだったら斬新も何もありませんね)

 

あるいはラッヘンマン、ファーニホウなどの新しい複雑性。あるいは他の楽器のソロのための技術開発を目的とした作品。奏者にほとんど不可能な奏法を求め、それに奏者が応えることで、随分と音色のパレットが豊かとなりました。ほとんどその奏者以外演奏が不可能だ、ということを除き……

私は自分がバイオリンをうまく弾けないのもあって、技術開発的な音楽を好きになれない側面があるようです。以前作曲した曲も無調っぽいけど技術的にはそんなに難しくない、というのを目指していたので。

アンダンテ・フェスティーボってそういう点では、理想形なんです。

 

 

ブーレーズやシュトックハウゼンの作品が好きな理由を考えていたんですが、彼らは「自分の作品が正しい方法で作曲されている」と確信していたんですよね。

それが原因で後に批判されたわけですが、逆に言えば彼らの作品は「この作品はこうあらねばならない」という確信を持って書かれていたわけです。

私がトータル・セリエリズムの作品に惹かれるのは、そういうところなのかなと。

話はまとまりませんが、コンサートが始まるのでここで終わりです。

最後に、シベリウス本人が指揮するアンダンテ・フェスティーボをどうぞ。

 

Jean Sibelius conducts "Andante Festivo" in 1939 - YouTube