ブラームスの記号について
タイトルの通り。
私が今所属しているオーケストラ含め、ブラームスにとりくむ取り組む人が多くいると聞いたため、知ってる情報をまとめておくといいかなと思った次第。
第1回は音量記号がメインです。2回めがあるのかは未定。
1.音量設定
音量設定は重要です。fとp以外出てこない作曲家(バロックあたりとか)、ff,f,p,ppの4つを使い分ける作曲家(ベートーヴェン)、fffffやppppppみたいな極端な指示をする作曲家(チャイコフスキー)
その中でもブラームスは特にややこしい状態にあります。一つ一つ見ていきましょう。
音量は基本ffからppまで
書いたとおりです。
ベートーヴェンがff,f,p,ppの4つを使い分けていたという話はしました。というかそのころは音量記号というものがそんなに細かく書かれていなかったのです。
ブラームスは古典派の作曲家をよく研究し、その書法をよく真似ています。なので音量設定もチャイコフスキーみたいに極端な書き方はしません。
しかし、下敷きにベートーヴェンがあるということはこれだけにとどまりません。
ベートーヴェンにとって、fは私達が思うほど「強く」はありません。とりあえずテンポが速かったり活気があったらfになります。
ffは本当の「とても強く」です。よくベートーヴェンのffとfの差はfとpの差と同じくらいである、と言われますが、音量設定が4段階しかなかったことがこの説の根拠です。
つまりブラームスにおいても話は基本同じです。fの部分とffの部分ははっきりと音量の変化がなければなりません。
mfと「mp」
古典派~中期ロマン派にかけて使われるようになった"mezzo forte"。"mezzo"は「半分」という意味です。
fとpしかなかったら「どちらでもない」という音量が設定できないので、fとpの真ん中の音量設定がほしかった。のではないかと考えています。
当時の音量設定を図にすると
(もっと小さく)<1 33 50 66 100<(もっと大きく)
ppp pp p mf f ff fff
という感じでしょうか。
「ちょっと待った、mpはどこ行ったんだ」と言われそうですが
mpという音量指示は1860年ごろまで使われていませんでした。
例えばシューベルト、シューマン、メンデルスゾーン、ベルリオーズといった「初期ロマン派」の人たち。この人達にmpを使った曲はありません。
ワーグナーも多分ないんじゃないかなと思います。目撃情報があれば教えてほしいですが…
ネットの記事によれば「mpを最初に使い始めたのはブラームスである」らしいですが本当か?
少なくともチャイコフスキー、ドヴォルザーク、ブルックナーあたりの世代になるとmpも普通に使われるようになります。
ブラームスでは「過渡期」にあたるので、mpはmfにくらべて遥かに数が少ないです。見つけたらラッキーだと思いましょう(?)
まあこういう状況なのでmpがブラームスでどういう音量設定を受けるのかはわかっていません。
この辺は奏者のさじ加減になるかと。
più forte,poco forte
ブラームスといえばこれ。彼はmpだけでは飽き足らずもっと微妙な音量記号まで使っています。
まあ両者ともブラームス以前から普通に使われていました。più forte は「より強く」なのでfとffの間と考えると良いでしょう。
問題はpoco forte。pocoってなんやねん、という議論は昔からあります。mfとどっちが強いんだ。
まあ、これも定説、というか何人かの指導者の方から聞いた話はあります。「"poco"は英語の"little"である。」
どういうこっちゃねん、となりますが、以下の画像を見ればわかります。
クラリネット三重奏曲の冒頭部分ですが、ピアノの音量指定は"un poco f"です。他のクラリネットとチェロは"poco f"。
英語では「いくらかの~」は"a litte"と呼びます。"little"だけだと"ほとんど~ない”。
つまりpoco fは「ほとんど強くない」であり、「半分の強さ」であるmezzo forteよりも小さくなる……という理屈です。
しかし、これも本当かどうかは知りません。そもそもpoco fもブラームスより前から使われていた音量記号だし、un poco fなんて表記はこの曲以外見たことがありません。
ブラームスが死ぬ直前になって、"poco"だけじゃなくて"un poco"で書いてもいいんじゃないか?とか茶目っ気を起こした可能性もなくはないです。まあ、一つの解釈として知っておくのは悪くないのでは。
ちなみに、交響曲第1番の第3楽章はUn Poco Allegretto,交響曲第3番の第3楽章はPoco Allegrettoです。「少しだけアレグロっぽい」「ほとんどアレグロっぽくない」ってどういうことだよ。
sotto voce, mezza voce
そろそろ「どんだけ音量記号作ってるんだ」と怒りが湧いてくる頃。
どちらも声楽用語でsotto voceは「ささやき声で」、mezza voceは「半分の声で」です。
用例を確認しましょう。
「悲劇的序曲」冒頭の弦楽器です。気になるのは6小節目、主旋律を演奏する1.VnとVlaだけpになっています。
ということはpと音量の差があることは確定、おそらくですがpよりももっと小さい音量が欲しいときに書くのではないかと思います。もちろん「ささやくように」というニュアンスがこもっているのは間違いありません。
もう一つの使用例。「大学祝典序曲」「悲劇的序曲」は対になっていると言われますが、冒頭に書かれた言葉も同じというのは面白いと思います。
mezza voceはこんな感じ。交響曲第3番ヘ長調の第3楽章からです。
「半分の」と言われてもピンとはきませんが、f,pなどの音量設定がここのチェロにはされていません。とりあえず全力は出さない、みたいなイメージなのでしょうか。
espressivo,dolce
これは表現記号じゃないのか?
と思われそうですが、ブラームスはことあるごとにこのどっちかを書きます。しかもかならず音量記号のそばに。いちいち「感情豊かに」とか「甘く」とか考えてたら多分イメージと違う部分が多発します。そんな甘い部分があったか?
ここの説は私の独自研究ですが、シェーンベルクがブラームスの音楽を研究していたことがヒントになるかと思われます。
シェーンベルクら新ヴィーン学派の曲には声部がH_で区切られていることがよくあります。これはHauptstimme(主声部)の略。彼らの音楽は無調を極めるにつれてどこが主旋律かわからなくなっていったので、明示的に知らせる必要が出てきたのです。
これと同じようなことをブラームスもしていたのでは?という推論をしました。
esspressivoが主声部、dolceが副声部といった感じでしょうか。
(交響曲第4番第1楽章より)
ただdolceが主声部にも書いてあることがあるので、一概にはいえませんが…
(交響曲第2番第1楽章より)
こちらは木管のメロディーがホルンの応答となっていることから、「ホルンよりは小さく」みたいなイメージなのかなと思っています。
またespressivoが伴奏系につけられた例もあり
(交響曲第3番第3楽章から)
「必ず聴こえてほしい」といった欲求が奏者に対してされているのではないかと……。
espressivoが出てきたら聴こえるような音量を確保する、dolceが出てきたら(メロディーという自覚はもって)もっと柔らかく小さくする、ぐらいの理解でいいのかもしれません。
(交響曲第1番第2楽章から。ヴァイオリンがpからディミヌエンドした結果がdolceであること、木管のメロディーが終わった後の弦にespr.がついているのに注目。17小節目からはオーボエのソロだけにespr.がついている)
他にもappacionatoとかagitatoとか書いてあることがありますが、このへんは表現記号として捉えていいのかなと。
番外編:tranquillo
これは音量記号ではありません。
確かに「静かに、落ち着いて」と訳されるのでそう思えるし、他の作曲家だと音量記号として扱うこともあります。ブラームスでもたいてい音量が落ちてる場面で使います。
しかし思い返してみましょう。ブラームスは音量に関わりそうな表現記号は必ず音量記号と同じ場所に書きます。
交響曲第1番第3楽章より。poco a poco più tranquillo「だんだんより静かになって」ではありますが、速度記号と同じ段に書いてあります。実際多くの演奏はここで「だんだんテンポを落として」演奏することが多いです。
悲劇的序曲より。Tempo primo(ma tranquillo)ですが、大抵の演奏ではここは「元のテンポに近づけるが、少し遅く」なっています。
"Performing Brahms:Early Evidence of Performance Style"
(Michael Musgrave, University of London Bernard D. Sherman,https://www.cambridge.org/jp/academic/subjects/music/nineteenth-century-music/performing-brahms-early-evidence-performance-style?format=WW&isbn=9780521652735 )あたりでは
「上に書いてあるのはテンポ変化を意味していて五線譜の中にあるのは表情を表している」「五線譜の中のtranquilloもテンポが遅くなる」など様々な説が書かれているので、確定ではありませんが
ブラームス独特の言葉の使い方にも気を配りたいものです。
まあそもそも有名な交響曲第1番第1楽章も
Un poco sostenutoってなんやねん、速度記号じゃないやん、となりますが……
ついでに。pesanteが一時的にテンポが落ちることを意味する場合がありますが、ブラームスのpesanteはそういう使い方は(多分)ないです。上のコントラバスの使い方のようにぐわんぐわん鳴らしましょう。
ここまでブラームスの記号の書き方について紹介してきましたが、見ての通りブラームス独自の言葉の使い方も多いし、未だに解釈の別れているものもあります。
しかし、ブラームスの書き方の癖を知ってしまえば、演奏を聴いたときに「お、この指揮者はここの記号をこう解釈したのか」とわかるといった楽しみが増えます。他のオケ団員に自慢もできます(
ぜひ楽しいブラームスライフをお迎えください。