世間は死に、世論が残った

日本において(外国でも同じかもしれんが)「世間」は死んだ
替わりに今を支配しているのは「世論」である、という言葉遊び的な論考を思いついたが、戯言に近い気がする

というツイートの続き、長くなりすぎたのでこちらで

 

世間は「人様に顔向けできない」というあの感覚だが、それは「大人になってアニメゲームを観るのはあり得ない」「30代になる前に結婚しないといけない」という風潮を作った一方、暴言を人に見えるところで吐いてはいけない、嘘をついたことを誤魔化してはいけない、というある種の倫理を強制していた


カウンターカルチャーやインターネットの掲示板は、ある種それからの逃げ場の一つとして機能していたのだが、今やそこで語られていたような言葉がそのまま社会と一体化してしまった
今のところ、「世間」が押しとどめていたタブーは殆ど消えてしまったが、ある程度うまく回っている気がする


しかし、代わりとなる倫理を求めることなく、このままこの理不尽な怒りと、デマと、執拗なステマと、被害者への執拗な攻撃が跋扈する言論空間の中で生きていかなければならないのか


世間は死に、ネットではある種の意見を共有する人たちの作る「世論」が動かすようになった
ネット以外でも世論は勿論あるだろうが、恐らくネット上ほど強固な団結力は作れないだろう(そしてそれを作るマスコミは今一番攻撃されている存在である)
極端な世論は支持されないが、ネット上ではとにかく目立つ
「世間」を作ったであろう5割の人より、極端な「世論」を作る1割の方が注目を集める


この「世論」の戦いが昨今の「分断の時代」というフレーズを生み出しているのだろうが、別に意見の対立自体はどれだけ激しくてもいいはず
問題は、彼らの戦いがかつて「世間」を構成したであろう多数とは関係がないこと、そして戦いに制限をかけるものがなく晒しだの誹謗中傷だのに容易に行き着くこと


今まではネットと現実にある程度差があったが、今やそれらは同化しようとしている気がする
私の立場は失われた世間体を復活させようとかネットの拡大反対とかではなく、「新しい倫理が必要になるだろう」ということなんだが、ネットの性質上、それは共同体ではなく個人に属する物にならざるを得ない

では、その倫理とは何か。それは「バーチャル世間2.0」のようなものなのか(多数派のぼんやりとした正義感、好悪の感情を、「世論」が主張する内容によってある程度修正したものになるのか)

それとも、全くの別物か。我々は「良心」を持つことを求められるのか。

 

分からないが、そもそもこれを考えなければ、先に進まない気がする。

 

ブラームス交響曲第4番の解説(ショートver.)

前回と同じく、中止になった2020年3月の演奏会のための文章。こっちはパンフレットに載せる予定でした。

ヨハネス・ブラームスの最後の交響曲、第4番ホ短調作品98の作曲のきっかけについて、指揮者ジークフリート・オックスは次のような証言をしている──1882年、ブラームスは友人たちの前であるJ.S.バッハカンタータの終楽章の低音主題をピアノで演奏し、その後楽章の一部を演奏した。そして「この主題に基づいて交響曲の楽章を書くのはどうだろう。もっとも、このままでは粗野で単純過ぎるので、いくらか手を加えなければならないだろう」と発言したという。

その後1884年から1885年にかけて作曲され、ブラームスの指揮、マイニンゲン宮廷管弦楽団により初演された。

作曲当時から見て古い技法、形式を多く採用しており、ブラームスの古典主義者としての一面が色濃く現れている。一方複雑な作曲法が扱われていることから、A.シェーンベルクは論文「革新主義者ブラームス」を発表しこの曲をおおいに称賛した。

 

第1楽章はソナタ形式で作曲されており、序奏なしでヴァイオリンがため息のような第1主題を提示する。このメロディは3度音程で下降し、また上昇していくという、後の音列技法を思わせる作曲技法で作られている。

f:id:comsoshirou:20200430233750p:plain

第1楽章冒頭の第1主題

f:id:comsoshirou:20200430233806p:plain

この後、ホルンとチェロが演奏する第2主題も哀切に満ちており、印象的である。展開部やコーダでは対位法(カノン)を用いた緻密な構築が聴かれる。

第2楽章の冒頭はフリギア旋法という、長調短調の音階ができる前に教会音楽で使われていた音階に基づいている。冒頭のホルンが朗々と吹き鳴らす主題は、クラリネットの落ち着いた第1主題、チェロが情熱的に歌う第2主題に受け継がれていく。

第3楽章はブラームス交響曲の中では唯一、2拍子のスケルツォが採用されている。快速なテンポと躍動感に満ちた楽章である。

第4楽章はバロック時代に多く作曲されたシャコンヌ(パッサカリアとも)というスタイルをとっており、J.S.バッハカンタータ第150番に使われた低音主題を一部変形して使用している。

f:id:comsoshirou:20200430233915p:plain

第4楽章のテーマ。下段は元となったバッハのカンタータ第150番の主題。

楽章は一種の変奏曲であり、主題と30の変奏、コーダからなるが、同時にソナタ形式としても解釈することができる。中間部では拍子が2倍に拡大され、長大なフルートソロ、トロンボーンによる明るいコラールが聴かれる。再び短調に戻った後は情熱的に進行し、第1楽章の主題も弦楽器のピチカートで再現される。コーダではさらにテンポを早め、一気呵成に曲を終える。

なお、初演の際、第3楽章のトライアングルを担当したのは若きリヒャルト・シュトラウスであったという。シュトラウスはリハーサルの後、父親にこのような手紙を書き送っている。

「彼の新しい交響曲は間違いなく大作です。着想と創意は素晴らしく、形式とフレーズ構造の取り扱いは輝かしく、抜群に勢いと力に満ちていて、新しく、独創的にも関わらず1から10まで完全にブラームスです。一言で言えば、われわれの音楽芸術を豊かにする作品です」

 

参考文献

ブラームス4つの交響曲』ウォルター・フリッシュ著,天崎浩二訳 音楽之友社 1999年11月

ブラームス 交響曲第4番ホ短調 作品98』ヨハネス・ブラームス作曲,野本由紀夫解説 全音楽譜出版社 2016年11月

『作曲家 人と作品シリーズ ブラームス』西原稔著 音楽之友社 2006年7月

George S. Bozarth and Walter Frisch “Brahms, Johannes”, Grove Music Online,2001.

Robert Pascall ”Symphonie Nr. 4 in e-moll, op.98”, Breitkopf&Hartel, 2012.

Kenneth Hull “SIX Allusive Irony in Brahms's Fourth Symphony”,”, University of Nebraska Press, 1998.

ブラームス交響曲第4番の解説

この記事は2020年3月の演奏会でブラームス交響曲第4番を演奏する際、楽団のWebサイトに解説を書いてほしい、と頼まれたため執筆したものです。残念ながら新型コロナウイルス感染防止のため演奏会は中止になってしまい、この記事の発表機会もなくなってしまいましたが、せっかく頑張って書いたのでここに掲載します。

作品データ

交響曲第4番ホ短調作品97

作曲者:ヨハネス・ブラームス(1833-1897)

作曲年:1884年夏(1、2楽章)-1885年夏(3、4楽章)、ミュルツツーシュラークにて

初演:1885年10月25日、作曲者指揮、マイニンゲン宮廷管弦楽団による

楽章構成

  1. Allegro non troppo
  2. Andante moderato
  3. Allegro giocoso – Poco meno presto – Tempo I
  4. Allegro energico e passionato – Più Allegro

楽器編成

基本的な2管編成だが、3・4楽章ではコントラファゴットが追加され、ティンパニが3台に増える(1、2楽章は2台)。

また3楽章ではピッコロ、トライアングル、4楽章ではトロンボーン3がそれぞれ追加される。

作曲と初演までの経緯

直接のきっかけは指揮者ジークフリート・オックスが言及している1882年のエピソードによると考えられる。

「会話の途中で、(ブラームスは)あるJ.S.バッハカンタータの終楽章について話し始め、この作品の芸術性を実証するために、彼はピアノに向かいその一部を演奏した。今になって初めてわかったことだが、それはカンタータ第150番における最高の部分と締めくくりを形作るチャコーナ(Ciaccona,シャコンヌのイタリア語)だった。ブラームスはまず楽章全体の根底となるバス声部のみを演奏したが、それは次のようなものであった。その後、彼はチャコーナを演奏した。 ビューローは聴いた後冷淡な称賛を贈り、動きに知的に内在する大きな激化が、声によって望み通りの量でもたらされることはほとんどないと異議を唱えた。 「それは私も考えた。」とブラームスは言った。 「この主題に基づいた交響曲の楽章をいつか書くのはどうだろうか?しかし、そのままでははあまりにも素朴で、単純すぎる。いくらか半音階的に変化させなければならないだろう。」私はこの会話をすぐに書き留めたが、今ようやく、ブラームスホ短調交響曲の終楽章と言及されたカンタータの終楽章を比較している。」[7]

なお、1883年の夏に交響曲第3番ヘ長調作品90を作曲しているため、それ以前からアイディアを温めていたことになる。

完成後、ブラームスは友人のエリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクにスコアの一部を送付して意見を求めたが、彼女は形式的な深さを讃えつつ、「顕微鏡で検査するような視点が多過ぎ、素朴な音楽愛好家が理解できる美しさがない」と懸念した。1885年10月には友人たちの前で2台ピアノ版を演奏している(共演者はピアニストのイグナーツ・ブルル)。このときの評価はあまり芳しくなく、後にブラームスの伝記を書くことになるマックス・カルベックはスケルツォを破棄し、4楽章を別の作品として出版して新たに書き直してはどうかと言ったが、ブラームスベートーヴェンの英雄交響曲のフィナーレも変奏曲となっていることを引き合いに出して譲らなかった。[8]

マイニンゲン宮廷歌劇場では友人のハンス・フォン・ビューローが指揮者を務めており、ここでの初演を希望(後にブラームス本人による指揮に交代)。なお当時ハンス・フォン・ビューローのアシスタントだったリヒャルト・シュトラウスは第3楽章においてトライアングルを担当したと言われている。

「彼の新しい交響曲は間違いなく大作です。着想と創意は素晴らしく、形式とフレーズ構造の取り扱いは輝かしく、抜群に勢いと力に満ちていて、新しく、独創的にも関わらず1から10まで完全にブラームスです。一言で言えば、われわれの音楽芸術を豊かにする作品です」(リヒャルト・シュトラウスが初演リハーサルの際、父に書き送った手紙)[8]

初演は大成功を収め、当時のマイニンゲン公ゲオルク2世の求めにより第1楽章と第3楽章がアンコールされた。

その後も各地で同楽団により演奏されたが、反応は賛否両論であった。特にワーグナー派が勢力を増していたウィーン初演では、ヒューゴ・ヴォルフは「作曲者の音楽的無力さと、それに対する無駄な試みの証明」と非難した。ブラームスの支持者ハンスリックは「一度聴いただけでは、宝の山のような楽想の豊かさと、慎み深い美しさを明らかにすることはできない。これは万人向けの作品ではないのだ。」と述べ、フィナーレについて「この楽章は暗い井戸と同じだ。長く見入れば見入るほど、星の光が明るく輝き映えるのである。」と擁護した。[13]

なお、ブラームスは第1楽章に4小節の導入部を付け加えることを考えていたが、結果的に削除された。またスコアより先に出版された2台ピアノ版では第1楽章のテンポがAllegro non assaiとなっている。

 エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクが指摘したとおり、この曲にはブラームスの長年のバロック音楽、対位法などの研究の成果が現れており、また意表を突くような仕掛けも多々配置されている。本稿ではそれらの仕掛けを解説し、より多くの方に深く「第4番」を楽しんでいただきたいと考えている。

第1楽章

調性

ハンスリックは「第1楽章にホ短調という調性を採用すること自体が既に独創的である」と指摘している。(5) 事実、ロマン派に入るまでホ短調で作曲された交響曲はとても少なく、ハイドン交響曲第44番「悲しみ」がわずかに挙げられるだけである。

ブラームスの4番が作曲された後は、チャイコフスキー交響曲第5番(1888年)、ドヴォルザーク交響曲第9番新世界より」(1893年)、シベリウス交響曲第1番(1899年)などいくつものホ短調交響曲が作曲されるようになる。

3度の連続

第1主題は18小節に渡る長いフレーズであるが、特筆すべきはその前半部分が全て3度下降によって構成されていることである。(3度下降とは、基準音を1度と見た時2つ下がった音のことを指し、ミの音から見たドの音を指す。) このような3度音程の連続からなるメロディをブラームスは好んでおり、多くの作品で使用しているが、特筆すべきは最晩年の作品、「4つの厳粛な歌」作品121第3曲 “O Tod, wie bitter bist du” (ああ死よ、おまえを思い出すのはなんとつらいことか) において同様の動機が現れていることである。

f:id:comsoshirou:20200430223819p:plain

アルノルト・シェーンベルクは本曲において、「ああ死よ」につけられた3度の下降音程が曲中で重要な役割を果たしていると言い、また交響曲第4番との類似性についても指摘している。[16] ケネス・ハルは歌詞が死を否定的に捉えているときは3度下降、肯定的に捉えるときは6度上昇であることにも着目し、交響曲第4番でも同じ動機が象徴的に使われているとしている。[17] 実際に両曲の関連性を保証するものはないものの、すでに行き詰まりを感じ始め、作曲をやめることも考えていたというブラームスの心境が反映されているのかもしれない。[3]

冒頭のヴァイオリンによる主題を示す。

f:id:comsoshirou:20200430225712p:plain

1から8小節目の音を単純化すると次のようになる。

f:id:comsoshirou:20200430225752p:plain
前述の通り、3度ずつ音が下がってきていることが確認できる。5小節目の頭のヴァイオリンはE音だが、バスがC音を弾くため、ここから3度で上昇していると解釈することが可能である。

このように、一見極めて情緒的なメロディーが、実はシステマチックに書かれているため、20世紀における12音技法のような作曲法を先取りしているとみなすことができる。

3度下降は本曲中のあらゆる個所に現れる。チェロとホルンが演奏する第2主題(下図)においても、コントラバスヴィオラが演奏する部分に3度下降が現れる。

f:id:comsoshirou:20200430225851p:plain220小節からのヴァイオリンのピチカートとフルートも第1主題を演奏するが、実はクラリネットファゴットのメロディーも「ミレド」と3度で下降する音型から作られている。

f:id:comsoshirou:20200430220659p:plain

まだ様々なメロディーの一部、伴奏音型などに隠されているが、第1楽章についてはこのあたりにとどめておき、残りの楽章では登場したときに紹介することとする。

ソナタ形式

ソナタ形式の基本形は(序奏-)提示部-展開部-再現部であるが、古典派音楽では提示部を繰り返すのが通例であった。19世紀の後半になるとそもそも繰り返しを書かない作曲家も数多くいたが、「保守的」といわれたブラームス交響曲第1番から第3番まで、すべて第1楽章の提示部に繰り返し記号を書いている(実演では省略されることが多い)。

第4番では繰り返し記号はなくなっているが、展開部の冒頭は提示部をそのまま繰り返す形になっている。「ブラームス交響曲だから、もう一度頭から繰り返すのだろう」と思っていた当時の聴衆は驚いたことであろう。

f:id:comsoshirou:20200430230016p:plain

第1楽章展開部。151小節~155小節。

このようにして突然始まる展開部の終わりははっきりしない。220小節からは第1主題の再現のようであるが、調性は嬰ト短調である。真の再現部はそのあとだが、木管の引き伸ばされた音に変わってるので、すぐにはそれと気づかない。

f:id:comsoshirou:20200430230043p:plain

第1楽章再現部冒頭。246~262小節

このように、それまでのブラームス交響曲が作ってきた「慣例」を意図的に破ることで、聴衆に驚きを与えようという試みがされている。

削除された冒頭と「アーメン進行」

「作曲の経緯」で紹介したが、ブラームスは本作品をヴァイオリンによる第1主題で始めるのではなく、短い導入部を付け加えようと考えていたようである。自筆譜に残されていたその部分を掲載する。

f:id:comsoshirou:20200430230149j:plain(清書は筆者による)

これは「変格進行」と呼ばれる和音の進行(つながり)であるが、かつて教会音楽で曲の終わりに「アーメン」と唱えるとき、しばしばこの進行が使われたので「アーメン進行」という通称がついている。教会が今とは比較にならないほど強く生活に密着していた19世紀、この進行で曲を始めることを考えていたことからも、ブラームスは「第4番」に宗教的な意味合いを強調しようとした可能性が考えられる。

なお、第1楽章の終わりでは途中まで「正格進行」という、ベートーヴェンが多用した、断定的で強烈な進行が使われているが、最後の2小節(ティンパニによる連打の次の小節)からは変格進行が使われている。まさに讃美歌の最後を「アーメン」で締めくくる習慣の模倣そのものである。

f:id:comsoshirou:20200430230337p:plain
(終結部。終わりの2小節前(ティンパニの4連打の小節)はイ短調の和音であり、アーメン終止である)

第2楽章

教会旋法

冒頭はホルンによる3度順次上昇進行、下降進行であるが、フリギア旋法となっている。ここでは教会旋法について少し解説を加えたい。

西洋音楽の源はグレゴリオ聖歌であるが、ここで使われている音階(旋法)は現在のものとは少し違っていた。一番代表的な「レの旋法」(第1旋法、ドリア旋法とも)は「レミファソラシドレ」である。これは現在のニ短調と似た響きを持つが、違うのが♭シが♮シになっていることである。このため、微妙な明るさを持った、短調とは少し違う響きになる。

このようにグレゴリオ聖歌、あるいは当時の音楽に使われていたものを教会旋法という。教会旋法はドリア、リディア、ミクソリディア、フリギアとその派生形である下属旋法(接頭語ヒポを付けて表す。ヒポドリア旋法など)の8つからなり、この第2楽章冒頭の旋律は「ミファソラシドレミ」からなるため「フリギア旋法」に該当する。ブラームスはこれまでにも教会旋法を使用してきたが、特にこの第2楽章のホルンのソロは印象的な使用法といえるだろう。

なお、この第2楽章では対位法という、「あるメロディーと他のメロディーを組み合わせる」技法が多く使われているが、これもまた古くから教会音楽で使われてきた技法であった(ブラームスの時代においては「古臭い」とみなされることさえあった)。ブラームスルネッサンス期、バロック期の音楽を研究していたため、ここではそれらの研究成果が反映されているという研究もある。[12]

3度下降、3度上昇によるメロディーの統一

ホルンのメロディー「ミ-ミ-ファ-ソ-ミ-ミ-レ-ド」はやはり3度下降と上昇を基礎としている。このメロディーは他の木管楽器がユニゾンで加わり拡大していく。やがてクラリネットホ長調の優しいメロディーを吹き始めるが、借用和音という違う調の和音を取り入れる技法のため、一抹の寂寥感が醸し出されている。

f:id:comsoshirou:20200430230348p:plain

ピチカートでの伴奏に徹していた弦楽器はBから同じく3度順次進行によるメロディーを演奏する。37小節は3連符からなる新たな主題が示されるが、徐々に音価が引き延ばされていく。

f:id:comsoshirou:20200430230435p:plain
チェロが甘美な第2主題を演奏するが、これもまた3度順次進行によるものである。このように、実際は同じような素材からできているにも関わらず、魅力的なメロディーを生み出すことができたのがブラームスの才能である。

f:id:comsoshirou:20200430230500p:plain

 

第3楽章

楽章形式は何か?

ブラームスが作曲した4つの交響曲の中で、唯一スケルツォ楽章を採用したと言われる。スケルツォベートーヴェンの時代では3拍子が基本だが、この交響曲では2拍子になっていることが珍しい、というのがプログラムに書かれる通説である。

しかし、ブラームスが作曲した作品全体を見ると、2拍子のスケルツォはそこまで珍しくはない。早くはピアノ五重奏曲スケルツォが3拍子と2拍子を混合した形になっている。

問題は楽章構成であり、ソナタ形式で作曲されているスケルツォは通常主部-トリオ-主部の3部形式(ダ・カーポ形式ともいう)で作曲されるものであり、ソナタ形式スケルツォはこの交響曲第4番以外では見られない。「第3楽章は3部形式のスケルツォ」という先入観そのものを裏切っている例と言える。

意表をつく和音

冒頭は非常に威勢のいい始まり方をするが、ハ長調の曲にもかかわらず、冒頭のメロディーはヘ長調の和音で一時停止してしまう(5小節目)。また、10小節目の公判では突然変ホ長調に転調するなど、調性が安定しない部分が多々見られる。この楽章を「から元気」と呼ぶことが多いが、それはこのような「まっすぐ進まない」ところが随所に見られることも関係しているだろう。

f:id:comsoshirou:20200430230730p:plain

第3楽章冒頭。

35小節からは冒頭のフレーズの変奏とみなせるが、トライアングルが追加される。交響曲にトライアングルのみを追加する、という例はドイツではシューマン交響曲第1番変ロ長調「春」以来である(この後、ドヴォルジャーク交響曲第9番ホ短調新世界より」の第3楽章で、似たようなトライアングルの扱いをとっている)。

そのまま静かに収まりつつ属調ト長調に転調し(木管に3度下降の動機が現れる)、ヴァイオリンが優しい第2主題を奏でる。

f:id:comsoshirou:20200430230804p:plain
その後展開部ではイ短調に転調し、冒頭の主題が旋法的に変奏され、155小節では遠隔調の嬰ハ短調に解決する。木管によるブリッジの後、変ニ長調になってホルンが牧歌的に演奏するPoco meno presto。 この楽章をスケルツォとみるのであれば、トリオとして扱われてもおかしくない部分である(もっとも、それにしては短すぎるが)。

f:id:comsoshirou:20200430230840p:plain

突然200小節で変ホ長調のテーマが戻り再現部。冒頭の主題が回帰するのではなく、フェイントを仕掛けるのは第1楽章とよく似た手法である。

その後は再びハ長調に戻り、威勢の良い金管のファンファーレの後一気呵成に曲を終える。

第4楽章

第4楽章は「30の変奏とコーダを伴うシャコンヌ(パッサカリア)*1」と呼ばれる。シャコンヌについてはここでは多く説明しないが、バスに置かれる「固定バス」(オスティナート・バッソともいう)[E-Fis-G-A-Ais-H-H-E]の上で短い変奏が連なっていく舞曲であった。しかし、ブラームスはこの「固定バス」を様々なパートに移すことで、より多彩な表現を可能としているのである。

ブラームスシャコンヌを作品の一部に取り入れた例として、最も有名なのが「ハイドンの主題による変奏曲」作品56aのフィナーレであろう。固定バスそのものが主題の変奏であり、さらにその上で短い変奏が繰り広げられる、という構成をとっている。

次に、バス主題の由来とされるバッハの教会カンタータ第150番BWV150「主よ、われ汝をあおぎ臨む」について解説を加える。そもそも教会カンタータプロテスタントの教会の礼拝で使われ、牧師の説教を交えながら会衆と一緒に歌うものである。そして牧師がある週、あるいは祝日にする説教(聖書の一説の紹介と、それをどのように解釈すべきかという教え)の題材は厳密に定められている。したがって、(マタイ受難曲BWV244が本来春の受難節のための機会音楽であったのと同じく)、教会カンタータも特定の機会のために作曲され、歌詞も聖書からの引用句を含むのがふつうである。

しかし、BWV150の場合は、聖書からの引用句を含まず、詩篇と出処不明なテキストから構成されているため、どの機会のために作られたのか分かっていない。それどころか、このカンタータがいつ作られたのかも分かっておらず、また通常のバッハのカンタータの様式とも一致しないため、偽作説が出されたこともあった。一応、現在の定説としてはバッハが20代、アルンシュタットという街にいた頃の作品で、最初に作曲された教会カンタータではないかとされている。[11]

終曲のチャコーナ「我が苦しみの日々を」の歌詞は、苦難の中でも信仰を守り抜くことの重要性を説き、「そばにいてくださるキリストが、日々われらを助けて勝利させてくださる」と希望を抱くものである。そして、曲を通じて何度も繰り返されるバス主題[H-Cis-D-E-Fis-Fis-H]はバッハより古い時代の作曲家、ヨハン・パッヘルベルシャコンヌを参考にしたと言われている。

f:id:comsoshirou:20200430230927p:plain


(BWV150の終曲。Continuoが演奏するのが固定バス主題である。)

原曲のシャコンヌではこの主題の基本形は変わらないものの、平行調ニ長調属調嬰ヘ短調イ長調ホ長調など、近親調を中心に転調し続けるのが特徴である。ブラームスの主題の扱い(主題を徹底的に解体、再構築するが、基本ホ短調/長調から離れない)との違いにも注目してもらいたい。*2

ちなみに、BWV150が初めて刊行されたのは1884年秋、ブライトコプフ&ヘルテル社「バッハ全集」によるものであるが、ブラームスはバッハ研究家シュピッタとの交流を通じて楽譜を手に入れており、指揮者としてのレパートリーにも入れていた。[5]

シャコンヌ主題は第1楽章にも登場している。よく指摘されるのが第1楽章の9小節目からの半音階で上昇するバスであり、またそのあとの第1ヴァイオリンが演奏するメロディーの頭にはA-Ais-H-H-Eと、第4楽章の主題の後半部分が現れている。

f:id:comsoshirou:20200430231021p:plain
また、第3楽章では、イ短調に移調した形[A-H-C-D-Es]が全合奏の和音で示されており、第4楽章の予告と見ることができる。

f:id:comsoshirou:20200430231058p:plain

(317小節~)

主題

f:id:comsoshirou:20200430231142p:plain
上記に第4楽章の冒頭、主題が提示される部分を示した。バッハの例と違い、主題がソプラノに置かれ、そして5小節目にホ短調の音階にはないAisが追加されている。このため、変奏主題そのものの調性が曖昧になり、多義的な和声の広がりが展開できるようになっているのである。

冒頭は(多くのシャコンヌと違って)主調のホ短調ではなく、イ短調の和音から始まる。8小節目に置かれた和音はホ短調同主調であるホ長調の和音である。このように、短調で始まった曲において、曲の終わりだけを長調の和音で締めくくることをピカルディ終止という。これもまたバロック時代においてよく使われた方法だったが、ロマン派の全盛期ではほとんど省みられなくなっていた。ブラームスはこのピカルディ終止を「曲の終わり」ではなく、「変奏主題の終わり」に使うことで、古い技法を継承するとともに、和音だけからなる主題を新しい方法で印象づけることに成功したのである。

この主題の後、30の変奏とさらに主題を発展させたコーダが続くが、この楽章をソナタ形式として見る解釈が一般に広まっていることは述べておくべきだろう。この場合フルートソロ手前までの部分(第11変奏)までが第1主題提示部、第12-15変奏までが第2主題提示部、第16-23変奏が展開部、第24-30変奏までが再現部ということになる。

各変奏について

第1変奏(9小節目〜)は和声的にはほとんど変わらない。主題は弦のピチカートに置かれているが、これが2拍目に鳴り、さらに1拍目の金管が徐々に後退していくことで、あたかも2拍目が表拍のように聴こえる。第2変奏(2拍目からフレーズが始まる)はそれを利用したトリックである。

f:id:comsoshirou:20200430231219p:plain
ここでは3度順次下降、上昇の動機が現れ、さらに途中からフルート、オーボエの組とクラリネットファゴットの組がカノン風に組み合わされている。

強奏の第3変奏(26小節〜)第4変奏(33小節〜)からヴァイオリンのメロディーが始まる。シャコンヌの特徴である付点リズムに基づく音型が初登場し、このメロディーが以降変奏の核となってゆく。まずオスティナート主題のみ変奏しその後ソプラノ主題で二重に変奏をする、というアイディアはベートーヴェン交響曲第3番「英雄」のフィナーレを意識したものか。

f:id:comsoshirou:20200430231240p:plain
第4変奏。38小節からは3度下降のモチーフが見られる。

以降楽器の数を増やし、細かい修飾を加えながら進んでいくが、次第に主題は解体されてD(81小節〜)では辛うじて和音が繋がっている状態になる。また、ソプラノの主題は[D-E-F-G]とニ短調で追いかけるため、調性もぼかされていく。

f:id:comsoshirou:20200430231319p:plain
(赤く塗ったところがオスティナート主題だが、最も耳に残る音はその全音下[D-E-F-G]である。担当している楽器(ヴィオラオーボエ)が通常最高音を演奏する楽器(ヴァイオリンとフルート)より高い音を出している点にも注目。7小節目はppかつ突然のV7でどの音がメロディーか分からない。さらに7小節目→8小節目は禁止されたV→IV進行である。)

89小節で3連符による抒情的なフレーズが演奏された後、半音階で下降していく。半音階で下降する音型はバロック時代では「ラメント・バス」と言い、悲しみを意味するものとして広く解釈されていた。J.S.バッハカンタータ第150番の序曲で半音階下降を印象的に用いているので、そこからインスピレーションを受けたのかもしれない。

f:id:comsoshirou:20200430231354p:plain
(バッハのカンタータ第150番より序曲。赤く塗った部分が半音階下降。)

f:id:comsoshirou:20200430231430p:plain
(89小節〜)

その後、拍子が3/2拍子と拡大することで第12変奏(97小節〜)から緩徐部となる。フルートは刺繍音型に基づく長大なソロを演奏する。フルートソロはブラームスではほとんど使用例がなく、また低音域のソロが後半現れるのも当時としては斬新な使用例であった。

f:id:comsoshirou:20200430231458p:plain
(第12変奏)

第13変奏(105小節〜)からは調性がホ長調に変わり、木管が交互に吹き交わす中、刺繍音型とアルペジオからなる伴奏音型を低弦が演奏する。オーボエの演奏する下降音階[A-Gis-Fis-E-Dis]の音型に導かれ、第14変奏ではトロンボーンファゴットのコラール。途中からはホルンが旋律を引き継ぐ。伴奏形はアルペジオであるが、これは第1楽章の冒頭における伴奏とほとんど同一である。

f:id:comsoshirou:20200430231614p:plain
コラールに参加する管楽器が増えて、安らぎがもたらされたように思われるが、フルートが[A-Gis-Fis-E-Dis]を吹く時、既に和音はイ短調の和音を鳴らしていて、不気味な表情つけがされている。

129小節からはテンポが戻り、冒頭が一瞬再現するが、弦楽器が4小節目の3拍目から暴力的に[A-G-Fis-E-D etc.]を演奏し期待を裏切る。これはそれまで長調の変奏で受け継がれてきた下降音階を短調に変形したものである。「展開部に入るときのフェイント」は第1楽章でも見られた手法であった。

f:id:comsoshirou:20200430231656p:plain
(展開部冒頭。ヴァイオリン、ヴィオラが演奏する下降音形は直前のフルートの音形を発展させたもの。)

低音の刺繍音型と木管の3度順次進行を対比的に見せる18変奏の後、スタッカートを多用した19変奏、3連符でさらに細かく刻む20変奏、トロンボーンが威圧する中、ヴァイオリンフルートが連符で駆け上がる21変奏と続く。23変奏は刺繍音型に基づく3連符と後打ちの8部音符がずれるのが特徴。24変奏でホルンにはっきりとシャコンヌ主題が現れる。

第25変奏から再現部だが、形としては第1変奏を下敷きにしている。

f:id:comsoshirou:20200430231722p:plain
(第25変奏。ホルンとティンパニによる1拍目の伸ばしは第1変奏を意識している。弦楽器は3連符、木管楽器は8分音符2つ演奏しており、ズレが生じる。)

第26-27変奏はこれら自体が第2-3変奏の変奏である。静まった後に現れる第29変奏は第1楽章第1主題の下降音型とシャコンヌ主題を結合したもので、シェーンベルクによって大いに賞賛された。

f:id:comsoshirou:20200430231807p:plain
(○で囲ったところがシャコンヌ主題)

第30変奏はこれがarco.のカノンで示される。4小節の移行部を挟んでPiú Allegroからコーダ。冒頭を再現するが、Ais音で一時的に停止。その後半音階上昇がソプラノとバスで交互に置かれ、音楽の行方が分からなくなりかけたとき、トロンボーンが堂々と縮小されたシャコンヌ主題を演奏する。一旦ピアノに落ち弦楽器が盛り上げて2回主題を終わらせた後、最後の部分に雪崩れ込む。最後まで曲の最後にフェルマータを置かないのも、1-3交響曲との違いである。

f:id:comsoshirou:20200430231931p:plain
(第4楽章終結部)

なお、この曲をソナタ形式として解釈してきたが、ほかに「第4楽章自体が交響曲の縮小である」とする解釈もある。この場合、テーマから第11変奏までが第1楽章、12~15変奏が緩徐楽章、15~23変奏がスケルツォ、24変奏からが第4楽章をそれぞれ模倣していると考えられる。「単一楽章の中に複数楽章の要素を取り込む」という挑戦はシューベルトの「さすらい人幻想曲」に始まり、リスト、リヒャルト・シュトラウスなどに受け継がれていくが、交響曲の楽章の中にさらに交響曲を取り込む、という点でこのシャコンヌはさらに特別な存在である。

楽章の解釈

ブラームスワーグナー・リストら「新ドイツ楽派」とは対立していた。19世紀において、音と何らかの描写を結びつける「標題音楽」は新ドイツ学派を中心に隆盛を誇ったが、ブラームスの支持者ハンスリックは「絶対音楽」を唱え、純粋に音楽的な要素、形式から音楽は聴かれるべきだという理論を提唱した。

しかし、ブラームス自身がそのような理論に賛同したという事実はなく、むしろ音楽の中に象徴的な記号を盛り込むことが多かった。第4番でも、教会を連想させる要素を多く使用するなど、宗教や死を連想させる部分が多く存在する。さらに、シャコンヌの引用元をバッハにではなく、バロックの作曲家ブクステフーデのシャコンヌ、あるいはベートーヴェンの変奏曲に根拠を求める場合もある。[16]

とりわけ、ベートーヴェンの第5交響曲は比較されることが多い。例えばR.Knappは冒頭の3度下降のテーマと「運命の主題」の類似性を指摘しており[16]Hullは第2楽章のクラリネットのテーマを『運命』の第2楽章のテーマの引用としている。

f:id:comsoshirou:20200430231959p:plain
ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調作品67第1楽章冒頭。

f:id:comsoshirou:20200430223637p:plain

ベートーヴェン 交響曲第5番ハ短調第2楽章

f:id:comsoshirou:20200430232046p:plain
ブラームス 交響曲第4番ホ短調第2楽章

また、Hullは引用されたバッハのカンタータ150番の歌詞が「悲しみを通じて勝利へ」という内容を含むことを示し、ブラームスの第4番がベートーヴェンへの「ほのめかしを含んだ皮肉」(allusive irony)であることも示唆している。*3

 

だが、同時にブラームスは謙虚さから過去の大作家と比べられるのを好まず、自作のピアノソナタ第1番とベートーヴェンピアノソナタ第29番の類似性を指摘されたときは「馬鹿どもはよくそれに気が付くよ」とまで返答したという。[3]ここであげた類似性についても、暗示的なものであり、知らなくても十分曲の素晴らしさを享受することは可能である。第4楽章の主題の由来、意味についても様々な解釈が可能であり、またそうした多様性こそがブラームスの意図したところであるのかもしれない。

 

後世への影響

同じくブラームス派と認識されていたドヴォルザークは、交響曲第8番ト長調において、同じく第4楽章に変奏曲形式を採用している。シェーンベルクブラームスを高く評価したことはすでに紹介したが、同じ新ヴィーン楽派のヴェーベルンは「パッサカリア」作品1で同じく管弦楽による対位法的作品に取り組んだ。その他の20世紀の作曲家(ショスタコーヴィチヒンデミットブリテンなど)も多くシャコンヌパッサカリア管弦楽のために作曲しており、先駆者としてのブラームスの影響は広範囲にわたる。

ブラームス交響曲第4番は、それまでのドイツ音楽の培ってきた作曲技術、文化の集大成であるとともに、次世代への標石であるといえるだろう。

 

参考文献

1.野本由紀夫『ブラームス交響曲第4番作品98解説』、全音、2016年。

2.西原稔『作曲家 人と作品シリーズ ブラームス』、音楽之友社、2006年。

3.天崎浩二、関根裕子訳『ブラームス回想録集2,3 ブラームスは語る』音楽之友社、2006年。

4.諸井誠『ブラームスの協奏曲と交響曲 作曲家・諸井誠の分析的研究』音楽之友社、2013年。

5.ウォルター・フリッシュ、天崎浩二訳『ブラームス4つの交響曲音楽之友社、1999年。

6.アルノルト・シェーンベルク、上田昭訳『革新主義者ブラームス』(『シェーンベルク音楽論選』より)、ちくま学芸文庫、2019年。

7.Siegfried Ochs, Geschenes, Geschenes(Leipzig, Grethlein, 1922)

8.George S. Bozarth and Walter Frisch “Brahms, Johannes”, Grove Music Online,2001.

9.Robert Pascall ”Symphonie Nr. 4 in e-moll, op.98”, Breitkopf & Hartel, 2012.

10.John Eliot Gardiner”Cantatas for the First Sunday after Easter (Quasimodogeniti)

11.Johann-Sebastian-Bach-Kirche, Arnstadt”, http://www.bach-cantatas.com/Pic-Rec-BIG/Gardiner-P23c[sdg131_gb].pdf

12.西原稔『ブラームス交響曲第4 番》における古楽様式の源泉―シュッツおよびジョヴァンニ・ガブリエーリとの影響関係を中心に―』、青山学院大学、  

https://www.agulin.aoyama.ac.jp/repo/repository/1000/20882/20882.pdf

13.小味淵彦之『ヨハネス・ブラームス再考:交響曲における緩徐楽章の主題をめぐって』関西学院大学https://kwansei.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=15792&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=30&block_id=85

14.Bernhard Hofmann „Neudeutsche“ vs. „Traditionalisten“, Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks, https://www.br-so.de/media/M4-Neudeutsche-vs-Traditionalisten.pdf

15.Pascall, Robert. "Genre and the Finale of Brahms's Fourth Symphony." Music Analysis 8, no. 3 (1989): 233-45. Accessed February 23, 2020. doi:10.2307/854289.

16.Knapp, Raymond. "The Finale of Brahms's Fourth Symphony: The Tale of the Subject." 19th-Century Music 13, no. 1 (1989): 3-17. Accessed February 23, 2020. doi:10.2307/746207.

17.Hull, Kenneth. "SIX Allusive Irony in Brahms's Fourth Symphony." Brahms Studies (1998): 135. Gale Academic OneFile (accessed February 23, 2020).

*1:シャコンヌパッサカリアの違いは伴奏のリズム音形だが、舞曲としての性格を失ってからは混同されることが多かった。[15]ブラームスはこの楽章を「シャコンヌ」とよんでいたという情報、あるいは原曲がシャコンヌであることから、以降第4楽章をシャコンヌと記述する。

*2:

ブラームスの弟子グスタフ・イェンナーは作曲のレッスンで変奏曲を扱ったときのことをこう述べている「……変奏の調を変えても、怒られることはなかった。ただしブラームス本人はベートーヴェン同様、変奏曲で調性を変更するのは、限定される用法と考え、一貫した変奏の究極の姿、すなわちバッハの《シャコンヌ》(無伴奏ヴァイオリンのためのパルティーニ短調の第5曲)を、至高のものとみなしていた。」[4]

*3:Hullはより具体的に「勝利への皮肉」とはクララ・シューマンに対する恋だと説明しており、シューマンの「幻想曲」に現れる音形との類似性についても言及している。しかし、筆者が論文のこのセクションを読んでもどういうことかきちんと理解できなかったこと、またHullの説には資料の裏付けが乏しいのではないかという懸念があることから、ここでは紹介するだけにとどめておく

Twitterの続き。プーランクのピアノ協奏曲

「動機労作が弱い」と言われるのは、逆説的に一つの動機に拘ったからでは無いか
第1楽章の「意図的に似せられた」ソナタ形式、展開のかわりに並列
冒頭の♬♪の繰り返しからメロディを作るのは古典派を意識?
第1主題提示部はA→B→A→B→A’→A→B’→変形主題
午後5:47 · 2020年1月20日
ブリッジ(7)からの主題は展開部に関わる
10からの第2主題は典型的な第1主題との対比、ヴァイオリンだけでなくヴィオラの音型も重要
12からの木管は第1主題Bの挿入 17前で一時停止、展開部
意図的なほどソナタ形式をわかりやすくしている 1949年にピアノ協奏曲を書く意義?
展開部以降の分析は今度
午後5:47 · 2020年1月20日
 

ここで書いた形式分析の続き。そのうちちゃんと譜面も付け加えて、分かりやすくするつもりです。

 

第1楽章展開部から(練習番号17〜)
提示部と展開部の間にわざわざG.P.と二重線挟んであるのに、なーんでソナタ形式じゃないと言い張るんですかね……
17、ブリッジ主題が再びアングレとヴィオラに。19からは新しい弧を描くような主題。20はその続きとpresser beaucoupでホルンの第1主題A変形の再現。
21の後半からは、全音スコアはラヴェルの影響って書いてるけど、むしろメシアン的では?この曲が描かれた1949年はメシアンが世界中に知られるようになった頃(ちなみにトゥランガリ交響曲の初演年でもある。初演団体も同じボストン交響楽団)。


22、Strictement en mesureからはピアノの問いかけと金管の応答。これをコラールと呼びたくなる気持ちは分かるけど、コラールはプロテスタントの文化なんだからそう呼ぶのはやめようね!以降は聖歌主題と呼びます。ミファソラソファソファミ、と順進行で上下に動くため、歌いやすい。
1回目はE♭Mから複雑な和音でなんとなく終結。2回目はCMに転調して、Cmの新しい主題。「カルメル派修道女の対話」に同じようなメロディがあった気がする…
25からが3回目で、全曲で最大の音量fffに到達。全音の解説はやたらとこの曲とラヴェルのピアコンの親近性を主張するけどここは正しい。第2楽章の最後、木管Gis-Fis-Dis-Cisの音を重ねる部分を引用している。

f:id:comsoshirou:20200130003909p:image

(ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調第2楽章、終結部)

ただしそれは1小節だけで、すぐに不完全な終止につながる。


4回目は途中で弦楽器に受け継がれて、そのままReprendre subitment le Tempo I°。最初のフルートソロはカルメル派修道女の対話っぽいと言った主題の変形。244小節からのヴァイオリンはブリッジ主題を取り入れている。
途中で無理矢理終止、二重線を経て、第1主題の再現(練習番号27~)。これも突然嬰ハ短調が現れることで、露骨なまでに分かりやすくしてある。再現部でオケとピアノの役割を入れ替えるのも昔からの常套手段(例:ブラームスピアノ協奏曲第2番第2楽章)。
またホルンにAの変形主題が現れるが、今度はブリッジに入らずそのまま第2主題へ。こっちは嬰ハ長調、古典的なソナタ形式の再現部に沿っている。ただし長さはそこそこで、298小節からはコーダへのブリッジ。展開部で使われた弧を描く主題が再登場し、Subito allegro moltoに突入。
コーダになって突如ファンファーレをトランペットが吹き、ピアノが模倣するが、フルートによる主題A’に遮られる。sans presserのメロディは新しいものに見えるが、どうやら「弧の主題」の変形らしい。2小節でハ長調から嬰ハ長調に転調する大技を見せて終了。

 


何度もソナタ形式、古典的という言葉を使ってきたが、じゃあ厳密なソナタ形式かというとそうではないし、いろいろ古典・ロマン派から逸脱している部分も多い。というか、展開部で第1主題、第2主題がほとんど現れず、新しい主題が中心になること、また再現部が提示部と比べて極端なまでに切り詰められているのは、そういう「古典的、保守的な聴き方」をする聴衆を驚かそうとしているor茶化しているのではと思われる。
何度も批判している全音スコアのように「楽曲構成として何形式と特定できるものではなく」みたいなことを大真面目に書かれてしまうと、多くの人がプーランクの仕掛けた罠そのものをスルーしてしまうという困った状況になるのでやめてほしい。

コラム 交響曲と序曲の関わり

以下の文章は「プログラムの冊子に何か読み物を入れるかもしれない」と言われたため原案として書き溜めていたものです。結局文章は入れないことになりましたが、せっかく書いた内容を放置してしまうのももったいないのでここに加筆せず掲載します。


交響曲と序曲。英語ではSymphonyとOvertureと表記される。この2つが、実は同じものであったと聞くと、驚かれる方もいるのではないだろうか。
序曲とはオペラ、劇、複数の楽章をまとめた組曲において最初に演奏され、催しの開始を告げるものであった。その語源はフランス語のOuverture(開場、開始を意味する)にある。特にバロック音楽においては、ゆったりとしたリズムが急速な部分を挟む、緩急緩の構成をとったフランス風序曲が多く作曲された。バッハの管弦楽組曲(第3番第2楽章が「G線上のアリア」として有名である)も原題はOuvertureである。
フランス風という言葉があるのなら、他の国の序曲もあるのではないか。事実、ナポリ楽派というグループが始めたイタリア風序曲が存在する。こちらは速いテンポとともに始まり、ゆっくりな部分を挟む急緩急の構成である。このイタリア風序曲は当時声を伴わない器楽曲を意味する言葉、Sinfoniaの名前で呼ばれた。
このSinfoniaこそが我々が今知る交響曲、symphonyの先祖である。イタリア風序曲が各国に輸入されるにつれて、急緩急の3部分を連続で演奏するのではなく、3楽章に分割する作品が登場した。さらに、オーケストラという団体が独立するにつれて、オペラの序曲などを独立して演奏することが増えてきた。前期古典派の時代(18世紀頃)において、交響曲の原型が示される。
さらにベートーヴェンの師匠でもあった作曲家、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが交響曲にメヌエット(当時流行したゆっくりとした宮廷舞曲)を採用し、今我々が知る4楽章からなる交響曲が完成したのである。
だが、まだ交響曲はオーケストラが演奏する多楽章作品以上の意味は持たなかった。決定的に交響曲が交響曲となったのは、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調が登場してからである。
本作品でベートーヴェンは冒頭の動機が全楽章を支配する「構築性」、第3楽章と第4楽章を接続したこと(アタッカという)、そして苛烈な1楽章のハ短調から勝利のハ長調へと至る「物語性」の提示など、数々の革新性を示した。E.T.A.ホフマンによって「ロマン主義の到来」と讃えられた本作品は、文字通りのちのロマン派交響曲の手本、理想となったのである。

さて、Ouvertureの方はどうなったのであろうか。こちらもオペラなどから独立して演奏されるようにはなったものの、Sinfoniaのように複数楽章に分割されることはなく、代わりに独自の進化を遂げることになった。それにはやはりベートーヴェンが関わっている。
彼は多くの劇音楽・序曲を作曲したが、それらはただの開始の合図ではなく、物語の進行・結末も予告する充実した内容を伴っていた。ここから、「特定の状況や雰囲気を描く」演奏会用序曲というジャンルが発生したのである。
このジャンルを得意としたのが初期ロマン派の作曲家、メンデルスゾーンであった。「フィンガルの洞窟」はソナタ形式に忠実に従っているが、スコットランド北部の風景を忠実に再現していると、周囲からも評価された。メンデルスゾーンの序曲は後世にも強い影響を与えており、「リエンツィ」序曲を作曲したリヒャルト・ワーグナーも「フィンガルの洞窟」を称賛している。


このように、symphonyもovertureも序曲から始まったため、実はよく似たものである。例えばイタリア語ではオペラの序曲も交響曲も同じsinfonia で呼ばれるし、古典派の交響曲が“ouverture”という名前でプログラムに載せられることも多かった。厳密に定義された言葉でもないため、劇音楽「エグモント」が作曲されたとき原作者ゲーテから「勝利のシンフォニー」で劇全体を締めくくれ、と指示されてベートーヴェンが作曲した部分は、わずか2分ほどの音楽である(ちなみに、これは「エグモント」序曲を作曲するときにへ長調のコーダとして再利用された)。

唯一確実に言えることは、交響曲と序曲は、どちらも我々オーケストラにとって欠かすことができない大切なレパートリーであるということだ。

 

参考文献 

Jan Larue, Eugene K. Wolf, Mark Evan Bonds, Stephen Walsh and Charles Wilson,”Symphony”, Grove Music Online, Oxford university press, https://www.oxfordmusiconline.com/grovemusic/abstract/10.1093/gmo/9781561592630.001.0001/omo-9781561592630-e-0000027254

Nicholas Temperley, “Overture”, Grove Music Online, Oxford university press, https://www.oxfordmusiconline.com/grovemusic/abstract/10.1093/gmo/9781561592630.001.0001/omo-9781561592630-e-0000020616?rskey=tsHH6L&result=2

ポール・グリフィス著,小野寺粛, 石田一志訳 『文化のなかの西洋音楽史』, 2017年7月,音楽之友社.

現代音楽の嗜好(アンダンテ・フェスティーボ)

N響/ネーメ・ヤルヴィでシベリウスのアンダンテ・フェスティーボ、トゥビンの交響曲第5番、ブラームスの交響曲第4番を聴きに行きます。

特に一曲目のシベリウス、この曲はすごく好きというわけではないけど、よくできた曲だと思う。

形式的には多分ABABA、「ソーーラーシーラーーーソソーー」という1stバイオリンのメロディが何度も演奏されます。細部は変わるけど変奏曲というほど細かく変わるわけではない。

和声の変化も(途中の固定バスとか)よくできてるなーとは思うけど、ぶっちゃけ目新しさはありません。

でも、この曲ってまさにシベリウス的な音が鳴るし、技術的にも簡単。表現の点でも、美しくハーモニーを鳴らせばそれできちんとまとまります。これって、作曲者、演奏者、そして聴衆みんなにとってありがたい曲なんです。

だからアンダンテ・フェスティーボは実は自分が作曲する上で目標とすべき曲なんではないかと思う。私の作曲ははっきり言って余暇の暇つぶしにしかなっていないし、技術的に解決すべきところがまずあるとはいえ。こんなに自然であることが稀有な曲はなかなかない。

 

現代音楽の話。

私が世の中で嫌われている現代音楽というものにある程度シンパシーを感じているということ、しかし「どんな作品でも良い」というわけではないことをどう説明すればいいのか、と悩みました。

ですが、最近気づいたのは、なんか意図が感じられる曲でないとダメだな、ということ。

批判してるのは、具体的に言うとペンデレツキの作品とかですね、後名前の知らない作曲家もいたけど忘れた

無伴奏ヴァイオリンってバッハはあれだけのポリフォニーを作りましたけど、本来だとギリギリ成立するかしないかぐらいのジャンルだと思うんです。

2つ以上(原則)音は鳴らせないし、音域も下はそんなに広くない。

だからこういう、じめっとしたエレジー系の作品が増えるのは分かるんですが…

それってストラヴィンスキーの「エレジー」でほぼ十分なんですよね。

こういうのが「ヴァイオリンらしくない斬新な音響」だから人気があるのは知っているのですが…(それでも、みんな揃って同じような響きだったら斬新も何もありませんね)

 

あるいはラッヘンマン、ファーニホウなどの新しい複雑性。あるいは他の楽器のソロのための技術開発を目的とした作品。奏者にほとんど不可能な奏法を求め、それに奏者が応えることで、随分と音色のパレットが豊かとなりました。ほとんどその奏者以外演奏が不可能だ、ということを除き……

私は自分がバイオリンをうまく弾けないのもあって、技術開発的な音楽を好きになれない側面があるようです。以前作曲した曲も無調っぽいけど技術的にはそんなに難しくない、というのを目指していたので。

アンダンテ・フェスティーボってそういう点では、理想形なんです。

 

 

ブーレーズやシュトックハウゼンの作品が好きな理由を考えていたんですが、彼らは「自分の作品が正しい方法で作曲されている」と確信していたんですよね。

それが原因で後に批判されたわけですが、逆に言えば彼らの作品は「この作品はこうあらねばならない」という確信を持って書かれていたわけです。

私がトータル・セリエリズムの作品に惹かれるのは、そういうところなのかなと。

話はまとまりませんが、コンサートが始まるのでここで終わりです。

最後に、シベリウス本人が指揮するアンダンテ・フェスティーボをどうぞ。

 

Jean Sibelius conducts "Andante Festivo" in 1939 - YouTube

マックス・リヒター《メモリーハウス》感想

読んでのとおりです

ぶっちゃけ批判の勢いがすごいのでこの曲好きって人はバックすべきだと思います

あとからいろいろ追記したい

(反応が「劇場版の皮を被った粗悪な総集編(原作は超名作)を観せられた」ときみたい、と指摘されて)

今後書きたいこと

「初期シェーンベルク」とはどのような音楽なのか

スウェーリンクとはどのような音楽なのか

ジョン・ケージとは何をした人なのか

 

《メモリーハウス》ではこれらの人たちの名前がプログラムで間接的に、あるいは直接的に引用されていますが、ほとんど冒涜に近いような使われ方をしています

私が「悲しい」と言う理由はここです

 

第一、作曲家のチョイスが「マイナーだが名前は知られている」ことである可能性がある

シェーンベルクが十二音技法を創始した、ジョン・ケージが「4分33秒」を作曲したことを知ってる人はかなりいると思いますが、実際の曲を聴いた人はあまりいないのでは

だからとりあえず「オマージュです」と言われたらおかしいと感じるまでもなく受け入れてしまう

これがベートーヴェンモーツァルトだったら多くの愛好家から反発を受けていたはず