Twitterの続き。プーランクのピアノ協奏曲

「動機労作が弱い」と言われるのは、逆説的に一つの動機に拘ったからでは無いか
第1楽章の「意図的に似せられた」ソナタ形式、展開のかわりに並列
冒頭の♬♪の繰り返しからメロディを作るのは古典派を意識?
第1主題提示部はA→B→A→B→A’→A→B’→変形主題
午後5:47 · 2020年1月20日
ブリッジ(7)からの主題は展開部に関わる
10からの第2主題は典型的な第1主題との対比、ヴァイオリンだけでなくヴィオラの音型も重要
12からの木管は第1主題Bの挿入 17前で一時停止、展開部
意図的なほどソナタ形式をわかりやすくしている 1949年にピアノ協奏曲を書く意義?
展開部以降の分析は今度
午後5:47 · 2020年1月20日
 

ここで書いた形式分析の続き。そのうちちゃんと譜面も付け加えて、分かりやすくするつもりです。

 

第1楽章展開部から(練習番号17〜)
提示部と展開部の間にわざわざG.P.と二重線挟んであるのに、なーんでソナタ形式じゃないと言い張るんですかね……
17、ブリッジ主題が再びアングレとヴィオラに。19からは新しい弧を描くような主題。20はその続きとpresser beaucoupでホルンの第1主題A変形の再現。
21の後半からは、全音スコアはラヴェルの影響って書いてるけど、むしろメシアン的では?この曲が描かれた1949年はメシアンが世界中に知られるようになった頃(ちなみにトゥランガリ交響曲の初演年でもある。初演団体も同じボストン交響楽団)。


22、Strictement en mesureからはピアノの問いかけと金管の応答。これをコラールと呼びたくなる気持ちは分かるけど、コラールはプロテスタントの文化なんだからそう呼ぶのはやめようね!以降は聖歌主題と呼びます。ミファソラソファソファミ、と順進行で上下に動くため、歌いやすい。
1回目はE♭Mから複雑な和音でなんとなく終結。2回目はCMに転調して、Cmの新しい主題。「カルメル派修道女の対話」に同じようなメロディがあった気がする…
25からが3回目で、全曲で最大の音量fffに到達。全音の解説はやたらとこの曲とラヴェルのピアコンの親近性を主張するけどここは正しい。第2楽章の最後、木管Gis-Fis-Dis-Cisの音を重ねる部分を引用している。

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(ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調第2楽章、終結部)

ただしそれは1小節だけで、すぐに不完全な終止につながる。


4回目は途中で弦楽器に受け継がれて、そのままReprendre subitment le Tempo I°。最初のフルートソロはカルメル派修道女の対話っぽいと言った主題の変形。244小節からのヴァイオリンはブリッジ主題を取り入れている。
途中で無理矢理終止、二重線を経て、第1主題の再現(練習番号27~)。これも突然嬰ハ短調が現れることで、露骨なまでに分かりやすくしてある。再現部でオケとピアノの役割を入れ替えるのも昔からの常套手段(例:ブラームスピアノ協奏曲第2番第2楽章)。
またホルンにAの変形主題が現れるが、今度はブリッジに入らずそのまま第2主題へ。こっちは嬰ハ長調、古典的なソナタ形式の再現部に沿っている。ただし長さはそこそこで、298小節からはコーダへのブリッジ。展開部で使われた弧を描く主題が再登場し、Subito allegro moltoに突入。
コーダになって突如ファンファーレをトランペットが吹き、ピアノが模倣するが、フルートによる主題A’に遮られる。sans presserのメロディは新しいものに見えるが、どうやら「弧の主題」の変形らしい。2小節でハ長調から嬰ハ長調に転調する大技を見せて終了。

 


何度もソナタ形式、古典的という言葉を使ってきたが、じゃあ厳密なソナタ形式かというとそうではないし、いろいろ古典・ロマン派から逸脱している部分も多い。というか、展開部で第1主題、第2主題がほとんど現れず、新しい主題が中心になること、また再現部が提示部と比べて極端なまでに切り詰められているのは、そういう「古典的、保守的な聴き方」をする聴衆を驚かそうとしているor茶化しているのではと思われる。
何度も批判している全音スコアのように「楽曲構成として何形式と特定できるものではなく」みたいなことを大真面目に書かれてしまうと、多くの人がプーランクの仕掛けた罠そのものをスルーしてしまうという困った状況になるのでやめてほしい。