リスト《調のないバガテル》は無調なのか?(前編)

まずはこの曲を聴いてください。

F.リスト作曲 "Bagatelle sans tonalité"(S.216a)

「無調のバガテル」あるいはもっと直訳的に「調のないバガテル」と呼ばれる曲ですが

リストが唯一無調という言葉を使った……のみならず、西洋音楽で初めて「無調」という言葉を冠した曲として知られています。

もっとも、一度初演された後は*1すぐにお蔵入りとなっているため、その後の音楽に影響を与えたのかは不明ですが……。

 

さて、率直にこの曲聴いてみてどうだったでしょうか?

 

「この曲のどこが無調かわからない」

と思いませんでしたか?

 

今回の記事はリスト、その他の作曲家たちが思い浮かべていた無調と、私たちが考える無調の違いについてです。

 

 1.無調と「調のない」

無調音楽ってなんやねん。そう思ったらまずWikipediaに当たるのが早いです。

無調 - Wikipedia

西洋音楽の歴史の中で数世紀の時間をかけて築き上げられた「調性」という名の調的な主従・支配関係に基づく音組織を否定し、19世紀末期から20世紀初頭にかけて新たに形成された音組織の概念である。調性のない音楽のことを無調音楽という。

 

無調に規律と秩序を与えようと創り出されたものに、「移調の限られた旋法」と「十二音技法」がある(いわゆる全音音階は、移調の限られた旋法の一種である)。その一方で、多調性(複調性・複旋法性)のように、複数の調的・旋法的な音階を同時使用することにより、調的な中心を曖昧にして、伝統的な調性感が働かないように楽曲構成することも可能である。  

 わかる人にはわかるだろうし、わからない人にはなんのこっちゃだと思いますが、ポイントは「中心がない」ことです。

ベートーヴェン作曲交響曲第9番ニ短調作品125だとか

同じくベートーヴェン作曲ピアノソナタ第21番ハ長調作品53だとか

 

そういう中心となる音がない

ドミソ→ソシレ→ドミソの音が来たら一段落する、という機能を持たない音楽を指します。

これ、中心とする音が「無ければ定義を満たす」ため、すごく幅の広い概念です。

例えば、いわゆるノイズ、騒音と呼ばれる音も音楽として扱うと無調音楽に近くなります。

 

リストの「無調のバガテル」の場合どうか?と聞かれると、これは確かに無調なんですが

「移調の限られた旋法」というのを使っているのがポイントです。

 

2.移調の限られた旋法

移調の限られた旋法 - Wikipedia

移調の限られた旋法は、その音程関係が12平均律の1オクターヴ=12半音の約数の周期(2半音・長二度:第1番、3半音・短三度:第2番、4半音・長三度:第3番、6半音・増四度:第4~7番)で反復(並進対称性)を構成しているため、12平均律のうちの異なる音をはじめの音として選んでいながらも、その音階を構成する構成音が集合として全く同じになっているような組み合わせが存在することになり、それゆえこの重複分だけ移高の数が限られてしまうことになる。これが、「移高が限られた」の意味するところであるこのような性質上、旋法のある一つの音は、同じような音程関係にある音が反復の回数と同じ数存在することになり、どれか一つの音が中心音として働くことは難しく、多調性なしに、幾つかの調性の雰囲気を同時に持つことになる。作曲者は意図的にその内のどれか一つの調性に主導権を与えることも、各調の雰囲気を共存させ調的に浮遊するようにさせることも、無調的に作曲することも可能である 

 もっとよくわからないことを言ってますが、ここは一番単純な移調の限られた旋法第1番でやってみます。

全音階とも呼ばれるこの旋法では、構成音は

ド,レ,ミ,ファ♯,ソ♯,ラ♯,ド

それぞれ半音上げると

ド♯,レ♯,(ミ♯=)ファ,ソ,ラ,シ,ド♯

もう一度半音上げると

レ,ミ,ファ♯,ソ♯,ラ♯,(シ♯=)ド,レ

となりました。

……最初の「ド,レ,ミ,ファ♯,ソ♯,ラ♯,ド」と実質同じ音階です。

なぜこうなったか?

 

その前に、伝統的な調性の移調について考えましょう。

伝統的な西洋音楽では、一オクターブの音は12個の音に分けられます。

もともと、西洋音階の長調

全音全音、半音、全音全音全音、半音」

短調

全音、半音、全音全音、半音、全音全音

の分け方です。全音は半音2個分だけの幅を持つので

長調は12個の音を

2,2,1,2,2,2,1

に分けていて、短調

2,1,2,2,1,2,2

の分け方をしています。

つまり長音階について、基準音を0として0,2,4,5,7,9,11,12(一オクターブ),14,16,17,19,21,23,24(2オクターブ)とあがっていくとき

それぞれの数字に1を足すと

1,3,5,6,8,10,12,13,15,17,18,20,22,24,25…

もう一回1を足すと

2,4,6,7,9,11,13,14,16,18,19,21,23,25,26…

となりますが、これらの数列はもとの数列と一致しません。

やってみるとわかりますが、もとの数列に12をたさないと、数列は一致しないのです。

数列がもともと長音階を表していたことを考えると、「長音階は移調方法が12個ある」ことがわかります。

短音階についても同じく、12回の移調方法があることがわかっています。

 

では、移調の限られた旋法第1番はどうか?

わざわざこのような数列を導入した理由はここにあります。

基準音を0とすれば、移調の限られた旋法は

0,2,4,6,8,10,12(一オクターブ),14,16,18,20,22,24(2オクターブ)…

と続きます。

もちろん、全音(=2)を音列(数列)に足せば

2,4,6,8,10,12,14,16,18,20,22,24,26…

となり、もとの数列と一致します。

長音階は12回転調できたのに、全音階は2回しか転調できない。その理由はすごく簡単で、音の幅が2ずれただけでもとの音階と一致するということです。

 

リストの「移調の限られた旋法」はどうかといいますと、以下の音列を使っています。

ド、レ、ミ♭、ファ、ファ♯、ラ♭、ラ、シ、ド

数列化すると

0,2,3,5,6,8,9,11,12

もっと分解すれば、「2,1」を交互に足していくことで得られる数列です。

この旋法の移調回数は3回。当然、2+1=3を足せば(全音と半音を足せば)もとの数列と一致するからです。

 

移調の限られた旋法が無調を実現するのは、この「移調回数がすくない」性質によるところが大きいです。

 

3.機能和声との比較

音階から2つ飛ばしの和音を構成すると考えます。ドミソ、レファラ……というように3和音を作ると考えた時

短調の音階は以下のように、

 

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(Wikipedia「和声」より)

7つの和音を作ることができます。これら全ての和音がそれぞれの「機能」を果たすため、これを機能和声と呼んだりします。

 

移調の限られた旋法第2番(リストの使った旋法)だとどうなるのか?

 

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3和音にもう一つ音(長短調の7度の音に相当)を追加し、さらにわかりやすさのため全て♭に限定して書くと

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…ここで見る3和音のことを「減五の和音」、4和音のことを「減七の和音」と言います。おそらくどこかで聞いたことがあるはずです。

しかしこの和音の性質は置いておいて、4和音の方に注目してください。最初の和音は「ド、ミ♭、ソ♭、ラ」、3番目の和音は「ミ♭、ソ♭、ラ、ド」で実質同じです。

さらによく探すと、

「ド、ミ♭、ソ♭、ラ」「レ♭、ミ、ソ、シ♭」「レ、ファ、ラ♭、シ」の3和音しかこの音階からは作ることができません。

 

……いや、わざわざこんな手間をかけなくても

もとの音階の数列

0,2,3,5,6,8,9,11,12

から2つ飛ばしで数えれば

0,3,6,9,12

が残るから、3回しか移調できないのは明らかだったのですが……。

まあとにかく重要なのは

「移調の限られた旋法はある音から作った和音が音階の別の和音と一致してしまう」

ということです。

これは無調の定義「中心がない」を満たします。

厳密にいえば中心音を仮定することは可能ですが、その中心音から作った和音が他の中心音のように聴こえてしまう=実質無いも同じ、ということです。

 

リストの《無調のバガテル》にはこの減七の和音以外も登場します。

というか協和音、すなわち長短調の和音も普通に使われています。*2

これは減五、減七の和音だとどうしてもバリエーションが少ないこと(移調が限られてるから)、そしてあまり美しく響かないことが関係しています。

そもそも「移調の限られた旋法」という概念が20世紀に入って作られた概念なので、リスト本人がどこまでこの音階の性質を把握していたのかは定かではありません。

とりあえず、どの調にも聴こえない音階ができたから、それに普通の伴奏和音をつけた。しかしもとの音階が中心音を持たないから、それに付随する和音の移動も脈絡なく聴こえる。結果としてあらゆる和音に転調するようになったから「調がない」と名付けた*3。そういう経緯があったのではと思います。

 なので、この曲の題名として「調のない」(sans tonalité)というのは正しい表現だと思うのです。実際は際限なく別の和音へと転調していくのですが、「無限の調」ということは「調性がない」に等しい。

こうして、リストの《調のないバガテル」が「一つの調を持たない」という意味での無調であることがわかりました。

 

と締めたいのですが、まだ疑問点が残っています。

 

なぜ私たちは最初この曲に無調らしさをかんじなかったのか?

 

例えば、私が現代音楽の授業をとったとき、最初に聴いた曲は《無調のバガテル》ではありませんでした(もちろん「最初の無調作品」という説明は聴きましたが)。最初に聴いたのは同じくリストの《灰色の雲》

この曲です。

 

どうでしょうか?《無調の~》よりも調性感がないように聴こえないでしょうか?

なぜなのか?

 

それは、《灰色の雲》は(無調音楽というほど中心音を排除できていないが)「無調らしさ」を多く含んでいるためと思います。

では無調らしさとはなにか……それは「不協和音」である、とここまで書いて、流石に文字数が増えすぎたので後半は後日に回します。

長いにもかかわらず最後まで読んでいただきありがとうございます。

*1:文献によっては1950年頃に発見されるまで一度も初演されなかったとも言ってる。一応WIkipediaの記述

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E8%AA%BF%E3%81%AE%E3%83%90%E3%82%AC%E3%83%86%E3%83%ABに従う

*2:ただ曲の終わりは半音階で上昇する減七の和音で作られています

*3:原題は「メフィスト・ワルツ第4番」。ワルツの形式になっているのはそのため