SCP-4028についての考察
今回は趣向を変えて、怪奇創作サイトSCPの記事について思ったことを書こうと思います。メタフィクションな構造を取る作品は多々ありますが、これは構成の素晴らしさ、読みやすさ、求心力が揃っていて、ぜひ自分の感想も留めておきたいな、と思ったので。
さて、今回取り上げるのはSCP-4028、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ伝」。超巨大ディスカウントストアではない
初めてタイトルを見たとき、ミゲル・ド・セルバンデスの創作した有名なキャラクター、ドン・キホーテのことね、と合点がいき、
そして実際に
説明: SCP-4028はミゲル・デ・セルバンテスが著した17世紀スペインの小説、“El Ingenioso Hidalgo Don Quijote de la Mancha”(“奇想驚くべき郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ”、通称“ドン・キホーテ”)の主人公、アロンソ・キハーノです。“ドン・キホーテ”の作中におけるアロンソ・キハーノは、騎士道物語の読み過ぎで発狂したスペイン貴族(または郷士Hidalgo)です。彼は遍歴の騎士を自称してドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと名乗り、純朴な農夫(サンチョ・パンサ)を忠実な従士として旅に誘います。“ドン・キホーテ”はセルバンテスによって前後編に分けて出版されました(前編は1605年、後編は1615年)。同作は西洋文学において最も影響力ある作品の一つと広く認められています。
という文章を見かけて、想像したとおりだと思ったことだろう。
知らない人のために、セルバンデスの「ドン・キホーテ」について。
ラ・マンチャのとある村に貧しい暮らしの郷士が住んでいた。この郷士は騎士道小説が大好きで、村の司祭と床屋を相手に騎士道物語の話ばかりしていた。やがて彼の騎士道熱は、本を買うために田畑を売り払うほどになり、昼夜を問わず騎士道小説ばかり読んだあげくに正気を失ってしまった。狂気にとらわれた彼は、みずからが遍歴の騎士となって世の中の不正を正す旅に出るべきだと考え、そのための準備を始めた。古い鎧を引っぱり出して磨き上げ、所有していた痩せた老馬をロシナンテと名付け、自らもドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと名乗ることにした。最後に彼は、騎士である以上思い姫が必要だと考え、エル・トボーソに住むアルドンサ・ロレンソという田舎娘を貴婦人ドゥルシネーア・デル・トボーソとして思い慕うことに決めた。
(中略)
やがてドン・キホーテとサンチョは3〜40基の風車に出くわした。ドン・キホーテはそれを巨人だと思いこみ、全速力で突撃し、衝突時の衝撃で跳ね返されて野原を転がった。サンチョの現実的な指摘に対し、ドン・キホーテは自分を妬む魔法使いが、巨人退治の手柄を奪うため巨人を風車に変えてしまったのだと言い張り、なおも旅を続けるのだった…
SCP-4028は3つの文章で構成されており、1番目と2番目はそれぞれ2006年と2007年のアーカイヴだという設定。
読み進めると、ドン・キホーテがその改変能力(ここでは現実改変能力にならって「フィクション改変能力」とよぶことにする)を発揮して文章が変なことになって……いかない。
文章の文法が崩壊することはないし、(超常的な現象は起きているが)記述内容も想像しやすい。脚注はよくわからない小言がずらっと並んでいるが、最後の「現行版の文書」では一つだけ。しかも本文は「風車や風力発電タービンが誰かに壊され続けているよ」という説明で終わってしまう。どういうこと?
おそらくだが、この記事の解釈には正解はない。だから私のも一説にすぎないだろう。
あなたが読んで「こっちの解釈のほうが正しい」と思ったら、それはそういう「物語」として立派に成立するのだ。
ぜひ、このテキストを何度も読み返して、いろいろな解釈を試してほしい。同じ文章を読んで、違う感想を抱くことなんてよくある。*1
最初に、各文書の文学的な事項について補足的な知識を提供しておこう。これらを踏まえて、自身の解釈を打ち立てるのもありだと思う。
第1の文書
http://ja.scp-wiki.net/fragment:scp-4028-1
リストに文学作品が大量にあげられている。名前の聞いたことのないものもあるだろう。
- 『大鴉』エドガー・アラン・ポー作の長編詩。1845年発表。
- 『クリスマス・キャロル』チャールズ・ディケンズによる中編小説。
- 『ある遊女の回想記』ジョン・クレランド著。2巻本。
- 『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』マルキ・ド・サド著。後年『新ジュスティーヌ』(全4巻)が出版される。
- 『旅の仲間』J・R・R・トールキン著。『指輪物語』全3巻のうちの第1部、第2部を収録(全6部)。
- 『ダーク・タワーI: ガンスリンガー』スティーブン・キング著。全7部構成のうちの第1作。
- 『ハリー・ポッターと賢者の石』J・K・ローリング著。全7巻。*2
- 『孤児物語』アンドレス・デ・レオン著。最近になって発見された本であるが、パレルモ大司教マーティン・デ・レオン・カーデナスによって書かれたものと考えられている。
比べてみるとわかることがいくつかある。
1.アロンソ・キハーノが改変を行う文書は以前の改変した文書より後に出版されたものである。
ただし
A.『孤児物語』は最初に出版されたのは2017年らしく、これだけ「執筆年」基準である*3
2.アロンソ・キハーノが改変を行う文書は以前のものより規模が大きい作品の1作目となる。
ただし
B.『指輪物語』『ダーク・タワー』『ハリー・ポッター』あたりは実際の作品の長さがどうなっているか数えたことがないため、厳密な判断は保留。
C.はじめにアロンソ・キハーノが潜んでいた『孤児物語』についても同様に長さがどのぐらいなのかはわからない。『大鴉』が6行18連で構成されているため、これより短い作品に「数ページを費やす」余裕があるのかはわからない。
傾向はあるものの厳密でなく、隠された意味があるのかは微妙なところ。私の解釈では特に順番に意味を持たせていない。
フレッドの証言
彼が登場する物語の中では彼の動向を記した二次創作が出回ってるし、そもそも大元の物語にしたって存在しない説話の二次創作って触れ込みなんだ。要するに彼はメタフィクションの中で本を書いている。つまり、言葉通りの意味で — それは彼の本なんだ。
空想科学部門長 ピエール・メナール
この名前にピンときた方は南米文学読者だろうか。20世紀アルゼンチン出身の作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編に登場する人物である。
『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール - Wikipedia
「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」(ドン・キホーテのちょしゃ ピエール・メナール、Pierre Menard, autor del Quijote) は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスによる短編集『伝奇集』に収録された作品の一編。ピエール・メナールという20世紀の作家がミゲル・デ・セルバンテスになりきるなどの方法*4で、『ドン・キホーテ』と一字一句同じ作品を作りだそうとした、という設定のもと、セルバンテスの『ドン・キホーテ』とピエール・メナールの『ドン・キホーテ』の比較を文学批評の形式で叙述した短編小説である。
メタフィクションといえばボルヘス、と言われるほど有名な人だが、読みにくく話の筋も掴みにくい(文章がというより話の脱線が多く、そかも脱線していることのほうが重要だったりする)。
この「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」は8ページほどの短編で、そこそこ読みやすい。初めてボルヘスを読む人にもおすすめだ(前提として「ドン・キホーテ」を読んだことがあった方がわかりやすい)。
なお、このボルヘスの作中のフランス人作家「ピエール・メナール」と空想科学部門長ピエール・メナール(以降ピエール・メナール博士)は時代や設定的に同一人物ではないように思われる。
SCP-4028の解説に戻ろう。
3つのSCP記事には脚注が存在するが、
特記事項として、ピエール・メナール博士(“ドン・キホーテ”研究の権威ある有識者であり、当時の空想科学部門長)は、この計画に自らが反対の立場だったことをSCP-4028の記録に残すように求めました。
脚注4
寝ている犬は起こさないに限る。
などの文章から、この脚注を書いているのはピエール・メナール博士だと思われる。
「当時の」と書かれていることに注意。ピエール・メナール博士は現行版(第3版)の文書には登場しない。
第2の文書
http://ja.scp-wiki.net/fragment:scp-4028-2
リストにあげられたSCPの番号に注目。次第に大きくなっていっている(SCP-4028に近づいている?)
また、SCPのサイトが(様々な投稿者によって記事が投稿されるという性質上)現在4000ほどの記事を抱え、規模も今までの文学作品(例えばハリー・ポッター)を超えるほどである、ということは念頭に置くべきか。
SCP-4028収容/無力化のための提言は全て、現在の空想科学部門 部門長、ピエール・メナール博士まで速やかに提出してください。
脚注1
煩わせるな。そんなものを読んで時間を無駄にしてはいられん。
お疲れ様です。
SCP-076
アロンソが探求の旅を続ける中、SCP-076が不意打ちで彼を馬から叩き落とす。アロンソは立ち上がり、剣を抜いてSCP-076に会釈し、彼との名誉ある戦いを始める。戦いは半日にもわたり、両者は疲労を募らせてゆく。アロンソの剛胆さに心揺さぶられ、SCP-076は彼らが武術にかけて平等に並び立っていることを認める。 二人は不本意ながらも互いに敬意を表し、袂を分かつ。
脚注5
何の“探求”だ?
脚注6
頼む。お前も私も、平穏無事に元の鞘に戻ることなどできはしない。
どういうことだ?
SCP-682
アロンソ・キハーノが巨人族から友を救い出すための旅を続けていると
脚注8
何だと!
SCP-1013
歩で旅を続けるアロンソ・キハーノの前に、SCP-1013が収容室から飛び出し、その眼光で彼を麻痺させる。アロンソは自由になろうと奮闘するが、SCP-1013は打ち倒される前に、鎧の隙間越しにアロンソに噛み付く。骨化(軟組織が骨に変化する現象)プロセスが歯型から始まり、周辺の肉へと拡散する。弱められ、しかし屈服することなく、アロンソは危険を冒して進む。
脚注10
頑迷な老いぼれめ!(¡Cabra vieja y obstinada!) 聞こえないのか? 引き返せ!
スペイン語の使用、引き返せ、という言葉
アロンソ・キハーノはより新しい記事へと前進してきている。
SCP-2020
脚注13
脚注14脚注15
「アロンソ・キハーノ」に対して「サンチョ」と呼びかけていることに注目。
そしていよいよこの記事そのもの
SCP-4028
息を吐くごとに苦闘しながら、アロンソ・キハーノは漸く、ピエール・メナール博士の前に立つ。そして、アロンソは到頭、その真の素性を明らかにする。サンチョ・パンサ、世にまたと無い勇敢にして高潔な騎士に仕える、忠実な家臣であり誇り高き従士。サンチョは主人の剣を返そうと試みる。彼は剣を持ち上げることができない。数多の傷が彼を圧倒する。彼は崩れ落ちる。しかし、地に倒れるその直前 —
— ひとりの年老いた愚か者が彼を受け止め、そして...
...そして、私は...
私は...
第3の文書
http://ja.scp-wiki.net/fragment:scp-4028-3
当該現象の裏にある原因や動機は、未だ確定的なものではありません。
脚注1
なに... 巨人でないとも限るまいよ。
"¡Non fuyades, cobardes y viles criaturas, esos dos caballeros son los que te van a atacar!"
“逃がしはせんぞ、卑怯非道の鬼畜ども! お主らに相対するは、この二人の騎士であると知れ!”
結局、どういうことなのか?
考察
実はこの文書自体はそんなにこみいったことになっていない。アロンソ・キハーノが「説明」の通り、各文書を騎士道的に改造してまわり、さらにSCPサイトのSCP-4028に到達する。実はその「アロンソ・キハーノ」は「サンチョ・パンサ」であり、脚注にスペイン語の使用が増えていくことから推察するに、ピエール・メナール博士は騎士ドン・キホーテとなってしまった。そして最後は2人で旅立つ……ということだ。
しかし、そうだとすると「現行版」のSCP-4028はなんなのか?アロンソ・キハーノの改変を受けたにしては、これは「風車が何者かによって傷つけられる」という客観的事実しか述べていない。
私はこう考えた、これは「復元されたSCP記事」なのだと。
可能であれば、改変されたテキストは本来の状態に復元されます。不可能であれば、これらのテキストは破壊されます。*5
SCP-4028はもともと「ラ・マンチャ地方(スペイン中部の肥沃な乾燥台地)にある土地の一区画(面積およそ3km2)で起こる反復性現象」について述べた記事であった。
そこへアロンソ・キハーノがSCP-4028へと侵入。SCP-4028を「アロンソ・キハーノという、他の記事をアロンソ・キハーノの騎士道物語へと変えてしまうオブジェクト」についての文章に変えてしまった。
アロンソ・キハーノはどこから来たのか?という疑問はあるだろう。しかしフレッドの言葉を思い出してほしい。彼はメタフィクションの中で本を書いている。つまり、言葉通りの意味で — それは彼の本なんだ。
ドン・キホーテの作者はミゲル・ド・セルバンデスだが、作中ではそれは別の本の2次創作だとされる。オリジナルはどう書かれたのかというと、ドン・キホーテ本人が語った言葉をそのまま記録した、ということになっている。
SCP-4028も同じことである。登場したきっかけは作者Great Hippo氏*6がこの「第1の記事」を投稿したからだが、このため財団世界では「アロンソ・キターノが改変能力を用いてフィクション改変能力者アロンソ・キターノを生み出した」という事態が生まれてしまった。いわば無から生まれたのに等しい(脚注に「私には何も無い!初めから何一つ在りはしなかった! 私の生涯は虚無だ!」とあるのはこれを指しているように思えなくもない。この場合、空想科学部門長ピエール・メナール博士本人もこの文書の改変とともに生まれた、という推論ができる)。
最初は変わったのは「SCP-4028が存在する世界」における「孤児物語」だけだったが、フレッドが接触してしまったため、「財団世界」というフィクションを認識。過去の文学作品を次々に改変していく。
ということが起きていることに改変されたのが「第1の文書」である。わかりにくいが、財団世界はこのSCP-4028が改変された世界では「現実世界」に相当するため、やっているのは過去改変、現実改変とほとんど変わらない。
そしてより新しい時代へと、また規模の大きい作品を探すうちに、SCPのサイトを発見。次々と改変を行っていき、ついにはSCP-4028を「ピエール・メナール博士=ドン・キホーテを巨人の手から救うため冒険の旅を続けるアロンソ・キハーノ=サンチョ・パンサの物語」(第2の文書)へと変化させてしまった。
ピエール・メナール博士はSCP-4028の収容監督官であったが、同時に「財団世界」というフィクションの登場人物でもある。このため、アロンソ・キハーノがSCP-4028を改変する際に影響を受け、ドン・キホーテに変化してしまった。その後、後任の担当者が「この文書はアロンソ・キハーノによって改変されている」と判断したため、文書はもとの記述に差し替えられた。
このため、フィクション改変能力をもつアロンソ・キハーノについて語る物語そのものが削除される。アロンソ・キハーノ=サンチョ・パンサは作中で死亡したと思われるが、この財団世界でも消滅してしまった。他の「改変された」という文学作品、SCP記事についても適宜直したのか、「アロンソ・キハーノ」が消滅したことで遡及的に改変が消えたのかはわからないが、元通りになった。
しかし、フィクション改変能力によって「ドン・キホーテ」にされてしまった財団世界の登場人物、ピエール・メナール博士はそのまま生きている。そのため(財団の監視を受けているため不定期ではあるが)今でも風車を巨人と思い込んで戦いを挑んでいる、というわけだ。新しくお供としてサンチョ・パンサ(と思わしきだれか)を連れて……
思い出せば、セルバンテスの創作した登場人物「ドン・キホーテ」も実際は騎士などではなく、騎士道小説の読み過ぎで頭がおかしくなってしまった老人であった。ミュージカル「ラ・マンチャの男」ではセルバンデスが書き上げたばかりの小説「ドン・キホーテ」を守るためドン・キホーテそのものに成り切る。
同様なことが財団世界におけるピエール・メナール博士にも起きたのだと思われる。…実際は「フィクション改変能力」によりドン・キホーテ本人に改変されてしまったのだろうが。
元財団職員であるため、この記事にアクセスする権限はあるのだろう。第3の文書に残された注記では、彼はセルバンデスの小説に登場するセリフ「なに... 巨人でないとも限るまいよ。」を使っている。
これが私なりのSCP-4028の解釈である。
なお考察の冒頭では
「SCP-4028はもともと「ラ・マンチャ地方(スペイン中部の肥沃な乾燥台地)にある土地の一区画(面積およそ3km2)で起こる反復性現象」について述べた記事であった。
と述べた。結果としてこの「風車壊し」がドン・キホーテ=元ピエール・メナール博士の仕業だったとしたら、改変される前の記事に改変後の事実が反映されていることになり、矛盾が起きるのではないか?
しかし、実際には私達は「改変された後」のSCP記事しか読んでいない。「アロンソ・キハーノ」が改変した文章は「改変されているか判断される」。つまり、修復に伴って間違った情報が紛れ込んだ可能性もあるということだ。
いや、改変されている必要すらない。
「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」とはどういう話だったか。「全く同じ文章がミゲル・ド・セルバンデスの手によるものとピエール・メナールの手によるものでは、全く異なった意味を持つ」という話だった。
ただの怪奇譚であった「ラ・マンチャ地方の怪現象について語ったSCP-4028」が2つのアーカイブを読んだ後では「アロンソ・キハーノに改変された男と従者の話」に変化してしまう。そういった経験がここには込められているのだと思った。
なお、ホルヘ・ルイス・ボルヘスによる「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」が収められた短編集『伝奇集』には『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』という作品が第1作として収められている。この小説、SCP-4028の話に似ている(というよりこの話をヒントにSCP-4028の解釈を打ち立てた。)ウィキペディアに結構詳しい概要が載っているため参照してほしい。
トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス - Wikipedia
まず第一部はボルヘス当人と目される主人公(私としか書かれていない)が、友人のビオイ・カサーレスとウクバールを発見するまでの顛末が語られる。ウクバールは海賊版の百科事典に仕込まれたいたずらであるとされており、薔薇十字やグノーシス派の記述を織り交ぜながら、捏造された架空の土地であることが明確に示されている。「トレーン」という言葉はウクバール文学の舞台となる場所の名として挙げられており、この時点ではウクバールという存在をそれらしく見せるためのギミックでしかない(小説の作者であるボルヘスが、ではなく、この小説の主張では存在するはずのウクバールの創案者が、である)。
(中略)
第三部冒頭の記述によると、ここまでの二部は『幻想文学選集』からの再録で一部訂正を行った物とされている。ここからは語り口が変わり、トレーンはもはや架空の存在ではなく、ある種の実体を伴って現実に干渉を始めている。まず1941年にアッシュの遺品から新たな手紙が発見され、17世紀初頭から続くトレーン創造の歴史が明らかになったという。時を同じくしてトレーン世界の品物や物質が現実世界で発見されるようになる。こうしてトレーンは徐々に現実を浸食し始め、『私』の記述では既に偽りか否か確かめる術のない情報で世界は作り替えられているという。そしていずれ世界はトレーンと置き換わるという予言を残して小説は終わる。
「物語」が「現実」を侵食する、という作品であるが
ここでは「物語によって世界が書き換えられる」「「トレーン」が侵食し始める世界もまたフィクションである」、という点で、SCP-4028と似ている。
しかし、次の記述はどうだろうか。
予言ほどの規模ではないにしろ、この小説もまた現実に浸食する性質を備えている。例えば1947年の追記とあるが、この小説自体は1940年に書かれており、どこまで小説が原形を留めているのかすらはっきりしないようになっている。架空の1940年版を誰かが捏造したとして、その真贋は結局出典の質によるため、この小説のように知識のネットワークそのものに疑いを持ち始めた場合、正確なことが言えなくなってしまう。しかもトレーンはその定義から「世界は既にトレーンを語るネットワークの一部である」という認識によって存在を規定されており、トレーンを語ったこの小説を起点として読者の全世界の認識を巻き込んでいくように仕掛けられている。つまり小説自体がトレーンという認識=存在の現実浸食の尖兵として機能するギミックになっているわけである。
ピエール・メナール博士はアロンソ・キハーノの物語(=改変されたSCP記事)を読むにつれて、自分をドン・キホーテと思い込むようになった。
私達の世界ー現実世界でSCP-4028の物語を読んで自分がドン・キホーテだと思いこむ人は……さすがにいないか。
たとえば、訂正されたはずの第3の文書のページでドン・キホーテの言葉を見つけてしまうような人は、自分が物語に侵食されていないか確かめるべきだと思う。あるいは、『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』の中の『私』のように「気にせず自分の仕事を続ける」ことにするか、だ。
補遺
SCP-4028のタイトルは、"ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ伝"だが…SCPの記事の中にこんな言及がある。
SCP-140
問題の本(“ダエーワ年代記”)は、“ドン・キホーテ”の作中で複数回言及される(そして著者セルバンテスが“ドン・キホーテ”の一次資料であると虚偽を述べている)非実在文書、“La Historia de Don Quixote de la Mancha”(“ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ伝”)に置き換えられている。記事では本の内容が簡潔に描写されている — 本はアロンソ・キハーノの数多くのロマンティックな冒険について詳述しており、彼が栄光のうちに引退して、忠実な従士と共に風車を探し求めながら余生を送るという形で終わりを迎えている。
脚注7
愚か者!(¡Imbécil!) そんな結末でないことは互いに承知しているはずだ。
ここで述べられている“La Historia de Don Quixote de la Mancha”、“ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ伝”は実際にセルバンデスが書いた“ドン・キホーテ”の中に登場する。著者はアラビア人の歴史家シデ・ハメーテ・ベネンヘーリ(架空の人物)。フレッドが言う通り、セルバンデスは"奇想驚くべき郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ”、通称“ドン・キホーテ”を“ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ伝”の二次創作として描いた。奇しくもこの記事SCP-4028、"ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ伝"も大筋をたどれば「アロンソ・キハーノが冒険をして」「従士と共に風車に戦いを挑み続ける」という形で終わりを迎えている。いわばこの作品自体の構造を述べたメタ構造。
しかし、「そんな結末でない」という言葉から、我々はアロンソ・キハーノのさらなる冒険を期待することができる。原作のドン・キホーテだって、「風車に勝負を挑む」というエンディングで一旦結末を迎えた後続編が出たのだから、期待しても良いだろう。
次のドン・キホーテは、どんな活躍を見せてくれるのだろうか。
それとも……そう、私達だって、ドン・キホーテになれないことはないのだ。
次の物語を語るのは、私達なのかもしれない。
*1:あとで紹介するボルヘスの小説なんかは「同じテクストをいかに違う形に読み替えられるか、という努力の結晶だ。
*2:コメントで「巨人、魔法使い、妖術師といった者は全て悪魔と取引しており、如何なる代償を払っても避けねばならないと弁明する」と述べられていることに注目
*3:ごく最近見つかったものらしく、原語スペイン語での出版が2017年ほど、英訳もおそらくされていない。果たして私達のいる現実世界の2006年時点でこの作品は発見されていたのだろうか?
*4:これはミスリードで、たしかにピエール・メナールは当初「ミゲル・デ・セルバンデスになる」ことを試みたが、のちにその方法は放棄している。「ある点でセルバンテスとなってキホーテに達することは、ピエール・メナールでありつづけながら、ピエール・メナールの経験を通じてキホーテに達することよりも骨が折れない──したがっておもしろくない──と彼には思えたのである。」(「伝奇集」、篠田一士訳、集英社、1984年。)
*5:なおこの特別収容プロトコルからは、もともとSCP-4028がアロンソ・キホーテについての文章であったが、改変は復元できず「破壊」され、無関係の第3の記事が新しく割り振られた、と考えることもできる。シンプルなのはこちらの解釈だろう。
*6:氏の著者ページ
http://www.scp-wiki.net/the-great-hippoにてSCP-4028についてのコメントを見ることができる。ドン・キホーテが「自分のヒーロー」であったこと、また「お気に入りのキャラクターをあらゆるフィクションの中に登場させる」ことを望んでいたことなどが明かされている。同ページにはミュージカル「ラ・マンチャの男」の音源へのリンクも貼られている。